マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

読書

「もう限界……」と嘆くウィトゲンシュタインを全力で応援する松岡修造

さて、どこまで書いたか。命題を余すところなく書き尽くす術を今回にもってきたか。そのような気がする。そもそも、命題とは要素命題と呼ばれるさらにちっさい命題の複合体である。要素命題はその名の通り、要素の命題であり簡単に言えばON/OFFのスイッチの…

ナンセンス☆ウィトゲンシュタイン

猛烈な雨と風は私がさしていたビニール傘をぐにゃぐにゃにしてくれた。何かの映画のジャケットに、どしゃぶりの中で両手を広げて雨を抱いていてる男が映っていたのを思い出した。両手を広げた以外は私はだいたいそのようになった。その足で会社へ行き、タイ…

経験に依存する飾りじゃない涙/「論理哲学論考」その2

昨日の夜、地酒を少しずつ口に含みながら井上陽水をBGMに記事を書こうとしたが、どうにも文章が定まらなかった。お酒は美味しかったが、それと思考が明瞭になることとは別のことらしい。彼は行かなくちゃ、きみに会いにいかなくちゃと自らを急かしていたが、…

インド象の思考と論理哲学論考

未知の本にアプローチする際に大切なのは、本を読んではいけないことだ。読むために読まないとはこはいかに、となるかもしれないが私の知ったことではない。あなたがその文章を知らないとなると、書かれているそれは文字以前に記号でしかないので読もうにも…

なげやりの量子力学 (終)

シュレーディンガーは行列力学と波動力学(波のやつ)が数学的に同じであると証明した。そしてそこから、双方の理論の融合を試みた。他の人も頑張って変換理論をつくった。成功した。もう、行列と波動は自由に行き来できる。やったー。文章がなげやりなのは…

排他律とインコのピーちゃん

通勤ルート沿いの家の軒先にピーちゃんがいる。ピーちゃんは二羽のインコのことであり、私が勝手に名付けた。二羽ならばピーちゃんズであろうが、私は彼らを識別できないので、複数形であってもSはつかない。晴れている日はいつでもそこにピーちゃんはおり、…

物質波としての私たちはリズム天国を踊る

わけのわからないことを調べるのが好きだ。意味不明の単語の羅列でしかなかった本が、あるとき急に意味を帯びる。その瞬間が好きだ。何度もこんなことをやっていると、何が重要で何が重要でないかがすぐに分かるようになる。この話はやめよう。今日は物質波…

捨てたけどやっばり欲しいな粒子性

定常状態と遷移というキーワードをかかげ前進を続けた前期量子論であったが、その背景にあるのはいまだに古典論であった。そこには位置と運動量があり、運動方程式を立てればいつどこにどのような動きでそれが存在しているのかが掴める。そういう奴だった。…

スピンと排他律、それと第一子誕生

先日子供が生まれた。何もないところからどのようにして彼がやってきたのか、甚だ疑問である。すわっていない首を支えながら抱く。彼は寝ている。私は起きている。

空虚な原子内にはびこるネプチューンマン

そろそろ量子力学の話を聞くのも飽きて来たと思うがつきあってほしい。私も別のことを書きたいのだが、いかんせん書くべきことがまだあるからどうしようもない。 量子力学という学問が産声をあげた頃は、みなはそれほど量子というものに注目していなかった。…

ちっさいおっさんが織りなす量子仮説

日々の文章を書き溜めた野帳が二十冊を越えた。昔は日記を書いていたが、いつからか面倒になりこうして文章を埋めていくノートを持つようになった。もっとも、はじめのころはアイデアをスケッチするためのノートでしかなかったのだが、後から見返すと何を考…

光のつぶつぶオレンジは自販機で110円いれると出て来たあれと等しく台風一過

日々多くの文章に囲まれて生活をしているが、彼らが私に与えてくれたものはなにひとつない。そして私が彼らに与えられるものもない。そうであってほしいと願う。皆、もとから何かを持っており、それを捨て去ることはないし変化させることもしない。変わらな…

色付きバーコードと普遍の数式

時計の針を少し戻そう。スペクトルの話がしたい。 水素が発するスペクトルが不連続の値をとることは以前から知られていた。その規則性を探ろうとしたリュードベリは、スペクトルの波長ではなくその逆数である波数(単に長さ当りに波がいくつあるか)に着目し…

物理の歴史はでっちあげの歴史

書くことは区切ることだ。思考を明らかにすることでは決してない。我々の内部にあるシステムを思考と一口に表現することは、おこがましいというか、恐れ多いというか、自分でも使ったことのない語彙を用いたくなるほど体が震える。きっとこれは誰にも伝わら…

情報と時間とベルヌーイの定理

数える程度の朝がやって来た。今日私に課されたいくつかの仕事はやがて形骸化し、どこかの宇宙のチリになるのだろう。高校の友人が海の藻屑のことを、海のもずくとふざけて言っていた。当時も今も私にはもずくというものがどんなものかはっきりとは分からず…

ナポレオンとどんぐりコーヒー

中学生の頃、私は塾に通っていた。といっても、都会のビルに入っているような大きな塾ではなく、個人経営の小さなものだ。それは中学校の校舎から歩いて十分ほどのところにあり、毎週水曜日になると私は近くのコンビニで菓子パンと野菜ジュースを買い、塾へ…

学生は有休休暇の夢を見るか?/イギリスとフランスとコーヒー

まったく脈絡のないタイトルで申し訳ない。でも実際書き上げるとこうなってしまったのだ。サマーウォーズでも観ながらダラダラ読んでほしい。 いくつかやることがあったので、今日は有給を消化した。銀行と役所へ行き、いくつかの書類を手に入れた後、近くの…

日向電工の解釈とスーフィズム/「コーヒーが廻り世界史が廻る」

「メルババ」はトルコ語の「こんにちは」にあたる言葉だが、それは「あなたの周りに広がりはあるか」という意味になる。砂漠の民は周囲が開けていた方が幸福を感じるらしい。私は砂漠の民なのだろうか。メルババが好きだ。広がりは物理的なそれではなく精神…

これで最後にするから、と許しを請うインド神話

インドラがいじけていなくなったせいで、世界は荒廃しヤバい状況になった。神々はどうしようもなくなって、とりあえず良いとこ出のナフシャを王にまつりあげることにした。「いやいや、私では力不足ですよ」とナフシャは断ったが、神々は引き下がる。「力不…

なんかもうよく分からなくなって失踪したインド神話

結局、干上がった海は天上のガンガー(ガンジス川)を地上に導き満たされた。 話は変わるが、トゥバシュトリはインドラを殺すためにヴィシュヴァルーパという名の、三面をもつ息子を造った。三面のうちひとつはヴェーダ聖典を学び、ひとつは酒を飲み、ひとつ…

塩分過多もいとわないインド神話

インドラ率いる良い人同盟は、ヴリトラら悪の組織の攻撃に苦戦していた。インドラが梵天になにか良い方法はないかと聞くと、梵天は「ダティーチャ聖仙の骨を使って金剛杵(ヴァジュラ)を作りなさい」と答えた。良い人同盟はさっそくダティーチャ聖仙のもと…

日常生活には役に立たない神々の話/「インド神話 マハーバーラタの神々」

しばらくはインド神話について語る。 『リグ・ヴェーダ』が誕生したのは紀元前一二〇〇年前後だと言われている。ヴェーダとは知る(veda)という意味が語源であり、バラモン教の聖典の総称となった。それは作られたものではなく、永遠の過去から存在していた…

ネジの未来とワクワク触媒/「星を継ぐもの」

慌ただしく業務をこなすも、振り返ってみると特に大きなことはやっていない。そんな平日だった。他の課の人々はなるほどほんとうに忙しそうで、あっちこっちへ電話をしたり会議をしたりエクセルパワーポイントワードに翻弄されている。一方私は何をやってい…

通勤ルートを多く持つ大人になりたい/「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」

通学路はよく聞くが、通勤路となると違和感を覚える。なぜか通勤ルートのほうがしっくりくるのだ。私のイメージでは路は曲がりくねった道の連なりで、ルートは直線が交差するそれである。大人たちはいつからまっすぐばかりの道を走るようになったのか。おそ…

私にとって注射は非日常を与える兵器でしかない/「ザップ・ガン」

私は注射が嫌いだ。なにしろ痛い。「チクッとするだけだから大丈夫」なんていう人がいるが、じゃああなたは朝顔を洗って歯を磨いてついでにチクッとするのか。そんな非日常的な痛みを簡単に受け入れることが出来ない。そのうち子どもが出来て、「父さん注射…

世界観をつくっては壊し六十秒が経つ/「カフェと日本人」

今朝もコーヒーを入れた。最近は豆を均一に炒るコツが分かってきて、昨日焙煎した豆は先週のそれよりもおいしくなった気がした。しかし、喫茶店のマスターのようにうまくドリップできない。どうしても落とす湯量が一定にならず、お湯が先っぽでぶれる。練習…

旅の終わりの記憶と筆まめのトライアヌス/「ローマ人の物語 24」

紀元九十八年から百十七年までの約二十年、ティベリウスはローマの皇帝として勤めた。初の属州出身であった彼だが、統治の評判はすこぶる良く、後の五賢帝のひとりとして数えられる。行ったことは公共事業と、ダキアとパルティアとの戦争。ダキア戦役の記録…

今のはカントのフタエノキワミ?!/純粋理性批判(上) 解説5(終)

旅先にも関わらず、いつもと同じ時間に起きた。しばらく部屋で過ごしたあと、一階のレストランで朝食を食べた。ビュッフェ形式で、それぞれの大きな皿にパンとスクランブルエッグ、ウィンナーや野菜が置かれていた。適当とった。デロンギのコーヒーメーカー…

走る東海道本線と川沿いリバーサイド鎌倉/純粋理性批判 (上) 解説4

渋谷センター街のスタ丼で夕飯を食べた。店を出てから気づいたが、昼飯も豚肉を食べていた。それだけ肉を欲していたのだろう。駅前は人でごったがえしていた。ごったがえす、という表現はまさに的を射ていると感じた。彼らの名前は知らないし、これからも知…

図式と時間と渋谷/純粋理性批判(上)解説3 

いいかげん、純粋理性批判の上巻を読み切らなければいけない。残業が多かったとはいえ、書評に一ヶ月かけてしまうのはやはり遅すぎる。今回は前回の続きで、判断力の項から書き始めよう。