マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

旅の終わりの記憶と筆まめのトライアヌス/「ローマ人の物語 24」

 紀元九十八年から百十七年までの約二十年、ティベリウスはローマの皇帝として勤めた。初の属州出身であった彼だが、統治の評判はすこぶる良く、後の五賢帝のひとりとして数えられる。行ったことは公共事業と、ダキアとパルティアとの戦争。ダキア戦役の記録はほとんど残っておらず、詳細が叙述された円柱が貴重な資料となっている。

 良い人だった、と伝えられる人はどうしてこうも資料が少ないのか。創作意欲というのは、怒りや苦しみという負のエネルギーによって生み出されることが多いからかもしれない。良い政治は市民に満足感を与え、「まぁ別に書かなくても良いかな」と寒中見舞いの返事を避けるのと同じような心境になる。

 それでも日常の悩みとか疑問は尽きないわけで、トライアヌスはそれについてもちゃんとフォローしている。塩野さんは「ホームページ」と表現したが、このあたり出版からの時代の流れを感じる。つまりは市民の嘆願や外部からの情報を手紙よって受け取り、それらにしっかり返答していたのだ。彼は寒中見舞いの返事を書く人だった。リスナーからのお便りを全て採用するラジオDJだった。筆まめというか、几帳面な人だ。

勤勉であった、というのは、トライアヌス帝についてまわった同時代人からの賛辞の一つである。”ホームページ”を開設していたことでは同じでも、ティベリウス帝はいっさい回答せず、トライアヌス帝は律儀に答える。前者は評判が悪く、後者は評判が良かった。

 まめで思い出したが、GW中に開催された旅行について、まだ最後まで書いていなかった。私はまめではない。

 Fablab鎌倉を後にすると、大仏を見に行こうか迷ったが汽車の時間が迫っていたためもう帰ることにした。東京駅へ戻る。それから簡単なお土産と駅弁を買って汽車に乗り込んだ。それが動き出すと私は心地よい満足感を覚えた。出発時に抱いていた不安や迷いは消えていて、「これをやればいいんだ」という目標が明らかになっていた。あとはするだけである。

 このあとはお湯をそそぐだけという段階が一番面倒くさい。行動を起こさない理由がなくなってしまうからだ。いろいろなマイナスの要素が取り除かれ、はいどうぞとばかりに現実がこちらに差し出される。そういった意味では秋は好きではない。冬の方がずっと好きだ。そしてそれはどうでもいい話だった。

 トライアヌスはパルティアへ遠征に行っている間に病で倒れた。彼も彼なりに達成感を味わったのではないか。「生まれ変わったら、もういっかいトライアヌスになりたい」と思いながら死んだとしたら、それはロマンチックだ。二十年の統治はここに終わる。

ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)

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