知性について
インターステラーを観た。 映画館に行くのは五六年ぶりで、半券がタッチパネルで買えるようになっていたり、待合室に大きなディスプレイが置かれていて驚いた。少し待ってからシアターに入った。僕の後から何人かの人が入ってきてめいめいの座席に座った。家…
皿洗いと知性 深夜の皿洗いは立禅である。昨日リビングのホットカーペットの上で寝てしまった僕は、爛々と光る蛍光灯のもと午前二時に目が覚めた。体の節々の痛みに耳をかたむけながらそっと起き上がり、ほとほと台所へ向った。夕飯の食器がまだ残っていたの…
時間と空間の観念性 前回告知したように、今日は『知性について』の中から時間と空間の観念性について話そう。観念性とは形のないぬるりとした液体のどんよりであり、決して沈殿することのない博多の塩のような味だ。要するによくわからないものだ。ショウペ…
どれみふぁドーナツを知る人はもういないか。 『知性について』を何度も読み込んでいるが、彼の言葉はひらひらとしてつかみにくく、ひとつのセンテンスを読み飛ばそうものなら虚無の世界へと引き込まれてしまう。真剣に読もうとすると業務以上の集中力を必要…
どこまでも僕 青みがかかった珈琲の空き瓶を貯金箱にしている。月末になると消費モンスターから生き残っていた100円玉を何枚かそこへ入れる。空き瓶はいつまでも空き瓶なので、硬貨を入れるたびにちゃりんと綺麗な音が鳴る。それが近くで叫んでいるツクツク…