どれみふぁドーナツを知る人はもういないか。
『知性について』を何度も読み込んでいるが、彼の言葉はひらひらとしてつかみにくく、ひとつのセンテンスを読み飛ばそうものなら虚無の世界へと引き込まれてしまう。真剣に読もうとすると業務以上の集中力を必要とする。昼休憩中の読書でそのように体力を使いたくないので、僕はいい塩梅で文章の意味に折り合いをつけて彼の熱をさましている。
この本の主題となっているのは、主観と客観の話だった。哲学や哲学以外の学問や思想の根底には、ねじまげられることのないコンテキストがある。地球は太陽を中心に回っているとか、朝が来て夜が来てまた朝がくるとか完全無欠の偽りのない(彼らの間では)事実だ。この竜骨にしたがってちょっとずつ論理を上積みしていく。カーペンターズは「この船は客観的な事実であり自明の明らかなエビデンス」と申し上げるが、ショウペンハウエルは「んなこたぁない」と否定する。
それを聞いたのはあなたの耳で、それを考えたのはあなたの頭だ、受け入れたのはあなたの心。あなたの認識の外であなたの世界がなりたつはずはなく、レンズを失ったカメラは写真を撮る事は出来ない。客観性は存在しない。主観。主観ばかりなのだ。五感と思考を持つ君の中心を知性と名付けよう。
彼の知性が、従ってまた彼の現実存在が、かのあらゆる法則およびそれら一切の帰結の条件であるということを認識するにいたる。
そう。1+1=2とかいう事実に絶対はなく、絶対があるとしたらそれを認識しているあなたの知性なのだ。竜骨はあなたの知性! わお。
そのとき彼はまた、彼にとっていま明らかになった空間、時間、因果律などの観念性が、自然の秩序とはまったく異なる事物の秩序を可能にするものだということをも、(それにしも、彼は前者を後者の成果あるいは象徴とみなさぜるをえないが)、ついに見抜くのである。
ショウペンハウエルは、ここから時間と空間の観念性について説明していく。しかし、それはまた次回の話にしよう。
ドーナツと哲学
ドーナツと哲学の相性はいい。もっと言うと、ドーナツの穴と哲学なのだが。ドーナツの穴はあるのかないのか。僕もよくわからない。観念の話では存在するだろうし、言葉にもそれはある。しかし全く見えない。ドーナツと言えばドレミふぁドーナツが思い浮かぶ人は僕と同年代だ。以後よろしく。そしてドーナツの穴と言えばこの曲だ。最近見つけた。
ドーナツの穴みたいにさ
穴を穴だけ切り取れないように
あなたが本当にあること
決して証明できはしないんだな
軽快なテンポと今風のメロディ、若者がしたためそうな「高尚」な考えとシンクロする歌詞。そうだろうね。「自分て何だろう」「僕はどこから来て、どこへ行くのだろう」「死んだら人はどうなるのか」。そのような難しげなことを、帰りのバスや電車や自転車で、学生は独り物思いにふける。終点は見つからない。確かめようがないし、それ以外にもやらなければいけないこと、やりたいことがたくさんあるから。家に帰ったら明日の数学のテストや、クラスでの立ち位置や、部活のハードトレーニングのことで頭がいっぱいになるにちがいない。しかしそれでも、彼や彼女らはドーナツホールを聴く。
ドーナツが好きなんだろう。
おわりに
しばらくは『知性について』から話を広げてみよう。
- 作者: ショーペンハウエル,Arthur Schopenhauer,細谷貞雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1961/03
- メディア: 文庫
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