あろうことか、七月になってしまった。2014年が半分を過ぎたというのに、僕の方はなにひとつ成長していない。確かに会社員にはなったが、根本の考え方というか価値観が大学生のころから固まったままだ。先日の誕生日で二十五歳を迎えたが気持ち的にはまだ二十歳だし、ときどき高校生に間違われるほど、見た目は幼い。
なにが言いたいのかというと、特になにも言うことはないのだ。ただ今日もこの空白のエディタを埋めなくてはならず——明日もあさってもきっとそうなのだろう——こうして文字を意味もなく打ち込むばかりである。
ドーナツの穴はあるのか。ないのか。それが知りたい。ドーナツの穴はドーナツの穴という名前で確かに存在している。しかし目には見えない。「それは空気だって同じだろう」とあなたは言うかもしれないが、窒素や水素や酸素はその性質を捉えることで観測が可能である。スペクトルとかスペクタクルとか、わかったげの理系用語を駆使すれば彼らの波長は見ることが出来よう。一方ドーナツの穴はどうか。いくら目をこらしても顕微鏡を走らせても、耳を澄ませても匂いを嗅いでも、その穴の手がかりをつかむことはできない。ないのだから。
それでもある。ドーナツの穴はある。人々は当然のようにドーナツの輪っかで輪投げをする。ミスドでオールドファッションを注文する。まるでそれがあるかのように。当然かのように。ないのにあるのだ。
存在しないことで存在している。とブッダは言っていた。嘘かもしれないが、僕の記憶の中ではそうなのだ。だからそうなのだろう。五位七十五法は、存在することがらを七十五に区分した法だ。その有為法の中に、心不相応行法という項目がある。生命とか言語がそこにあてはまる。ドーナツの穴もきっとそこに入るのだろう。つまりは存在しているのだ。やったー。
かくして、存在していないことで存在していることになったドーナツの穴は、僕の中で劇的な変化を迎えた。ドーナツの穴が閉じたのだ。もうそこにあるのは空ではなく色であって、ああもうどうでもいいやといわんばかりに大きな大きな雨が一段となって押し寄せてきた。
ゴリラ豪雨。
ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義
- 作者: 大阪大学ショセキカプロジェクト
- 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
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