マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

読めないコード、書けないノート、食える寿司

 書き出しを決めきれずに、これをAIに任せられないかと考える。しかしそれはわたしの頭の中を覗かねばならず、かなり難しいところがある。昔から野帳という緑の小さいノートに、すこしずつ文脈を集めているが、それももうだいぶ前から枯渇していて、これはあらたに何かを摂取しないといけない。本を読まないとなぁ。

 コードを書いている。というか、コードを読んでいる。フィヨルドブートキャンプでチーム開発しているが、誰かが書いたコードを読みつつ所望の動きを追加したり改善しなければいけない。現職も似たようなことをしている。とうの昔に退職しただれかの図面を読み漁り、不具合のあてをつけたり改善したり。Gitで管理されているソフトウェアは良い。差分や歴史がわかるから。

 わかるほうが少ない日常がつづく。わからないのが当然で、これを少しずつ紐解いていく必要があった。それが仕事か業務というものだろう。いつだって完璧に準備された仕事というものはなかった。それは単なる作業だ。納期や品質や、変更幅がぐちゃぐちゃななものがあり、それをいいかんじにこなす。

 中途半端に暇な時間ができて、私はテレビをつけていた。昔録画した番組がなにかないかと録画一覧を見ていると、ショーシャンクの空があった。数年前にロードショーでやっていた分だった。冤罪で捕まった男が、雨に濡れながらバンザイする映画だ。救いがあるなぁと思った。特に最後の十分が良い。

 上記の文章が下書きのままのこっていて、これらを供養しないといけなかった。もうすこし書きたいこともあったがそれはまたいづれ。

 今日は寿司。 UnsplashMarek Piwnicki