
はじめに
ものすごく久しぶりに書評記事を書く気がする。「技術記事を書く技術」を読んだ。ITエンジニアの伊藤さんが、良い技術記事を書くときのTipsを紹介している本だ。伊藤さんは私が所属していたプログラミングスクールでメンターをしていて、提出物の添削などを対応していただいた。直接お会いしたことはないが、そんな緩やかな面識はある。
印象に凝ったフレーズ
本書は技術記事を書いたことがない初心者に対しても書かれているため、ブログを開設して、はじめに一本の記事を書くまでが丁寧に解説されている。私自身はすでにブログをはじめているため、その他の章が印象に残った。というより最後の付録か。
生成AIを使えば、一定の品質を保った記事を効率良く書くことはできます。しかし、その記事が「あなた」という人間を読者の記憶に残せるかどうかは、また別の問題です。
p346
私の文章に「あなた」(=自己)はあるか
昔はよく文章を書いていた。書評も週に二本程度書いていたし、技術的な記事も生産していた。ひとりアドベントカレンダーなんてことをやって、期間中は毎日、25本の記事を書き殴ったこともあった。何をしていたのだろう。書かなくなった理由はいくつかある。子供の対応で時間がとれなかったり、本を読む気力が薄れていたり、書く以外の興味関心が増えたりということもある。でも一番の理由は、AIの台頭である。リクエストをすれば、AIがそれらしいフレーズを寄越してくるのだ。これは画期的である。
よいことだなぁと思ったが、これをやればやるほど自己がなくなる気もした。
自己を表すのは血の通った圧倒的経験
むかーし昔に読んだ、何かの本で「経験たる経験」というフレーズがあった気がした。しかし検索するも自分のブログ記事しか表示されず、あれは作られた記憶なんだと思った。しかしそれは私のバックグラウンドに明らかに残っており、今でも時々思い起こされる。なんにせよ経験である。フィジルカルAIという世界も実装されてきて、いよいよ人間とAIの境界線がなくなってきた。アイデンティティを持つには単純な知識の羅列や、情報のコピーアンドペーストではダメだ。学生時代に通学路で見かけた子猫とか、近くのたい焼き屋の味とか、ブランコに乗る子供の背中を押しまくった日々とか。そんな経験を載せないと。
おわりに
読者が期待しているのは、そういった経験つきの自己なんだろう。私はそのとき何を行い、どう感じたか。唯一無二な出来事を紹介すると、きっと読者もワクワクするに違いない。
経験を載せると、感情を載るもの。やっていこう。
