日々多くの文章に囲まれて生活をしているが、彼らが私に与えてくれたものはなにひとつない。そして私が彼らに与えられるものもない。そうであってほしいと願う。皆、もとから何かを持っており、それを捨て去ることはないし変化させることもしない。変わらないということが重要であり当たり前であり真だ。
一週間が終わった。今週も鉄を削っていた。彼らはなにも言わないため、こちらから語りかける必要がある。一振りごとに調子は、どうだい、調子は、どんなだい。と。いや、誇張した。私がやったのはボタンを押すこととドアを開けることくらいだ。あとは全て機械がやってくれる。待ち時間はお絵描きと図画工作をしていた。車の運転をそろそろ頑張らないといけない。会社は教習所にもなる。
(暗転)
いま、量子力学について勉強しているんだと言ったら、え、漁師力学?なにそれ?と聞かれた。私は脳の三割ほどを釣り針のモーメントの行き先で埋め、残りを漁父の利とか敵対関係とかマクロな視点を持つ国家に想いをやった。結局はそのようなものだ。
二十世紀はじめごろに動きがあった黒体放射や光電効果の問題は、現在の量子力学の扉を開いた。どちらも今までの物理の枠組みでは説明がつかない現象であり、それを解決したものは「光を量子化すること」だったからだ。
黒体とは概念のひとつであり、常温では黒いが高温になると温度に応じた色を放射する物体である。ウィーンとルンマーはこの概念を小さな孔を空けた容器として具現化した。レイリーはそのエネルギー密度(単位体積あたりのエネルギー量)を数式化した。これは振動数が上がると無限大へ発散してしまう関数だった。この式は振動数が低いときは実験値と一致するが、高いときは実験値と大きな乖離が見られた。そこで、プランクは「光のエネルギーはとびとびの値しかとらない」と仮定し、レイリーの式を書き直した。するとうまくいった。式の値と実験値がいい塩梅に収まったのだ。
光電効果は金属に光を当てると、金属表面から電子が飛び出す現象のことをさす。飛び出した電子のエネルギーは光の強さには関係なく、光の振動数にのみ影響する。光を電磁波と考えると、この現象は説明がつかなかった。電磁波なら光が強ければ強いほどより多くの電子を飛び出させるはずだからだ。アインシュタインは1905年に光量子説を唱えた。光はつぶつぶであり、ぼろぼろのぽろっぽろだった。
光とは波か粒か。ここら辺を考えると川や海のゆらぎと、夜空の星、さらには風が語りかけます。
うまい。うまいすぎる。
つづく。
参考文献:
http://www.th.phys.titech.ac.jp/~muto/lectures/QMI10/QMI10_chap01.pdf
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