マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

2024の剰余

午後十時。抗生剤入りのジュースを次男は疑り深そうに眺めていた。しばらくして、ストローの先をそれにつけてぺろぺろ舐める様を、私たちは笑いを堪えながら見守っていた。それだけの年末である。

長男だけさきに妻の実家に配送し、我々三人はあとから向かう。次男が熱を出していたというのもあるし、そのほうが義母の負担も少ないだろうというものだった。

諦めるのを諦めた一年だった。ウェブエンジニアになりたいなならなくちゃ絶対なってやる、という風潮もあったが到底無理な話だった。時間が取れない。次男は二月に一回発熱し、二日に一回夜中に起き出し、一日一回は暴れまわる。腰を落ち着けて、まとまった時間を使って勉強することはできなかった。それでもコードを書くのは嫌いではなかったので少しずつやることにした。工夫も何もなかった。彼が起きる前にコードを書き、起きてくればそれは終了された。

仕事はものすごい暇になったので、ほんとに暇を出されるのではと不安になったりした。社内の顧客から依頼された細々としたものごとを片付けて、その結果を社内でお知らせすることにした。(そういう風習があった) わりと好評らしく、評価が上がった。評価が上がるということは給与が上がるということだ。そのようになった。

その調子で社内での自由度を高める活動にシフトした。自分がやりたいことと会社が求めていそうなことを合わせるようにして、提案する。許可されたので私は業務でコードが書けるようになった。なんということだ。

IPAのプロジェクトマネージャ試験を受けることにした。応用情報を取得して早二年。今年受けないと、一次免除の資格がなくなってしまうためだ。この学習はそれほど時間をかけていない。これは専門知識を問われることはあまりなく、国語の試験だった。準備しておいた経験談のみを書くのではなく、設問に対してちゃんと述べるように、調整した。そして合格した。

目標とか夢というものは、どこか遠くにあって、それに向かって走っていく。そうイメージしていた。しかし実態は違って、見方を変えると急にそれが隣にいたり、頭から降って湧いたり、背中をつんつんされる。そういうものだったのか。理解した。

来年はフィヨルドブートキャンプを卒業する。これは何があっても必ずやる。あとのことはどうでもいい。自分がやりたいことをやる。それさえできればいい。

UnsplashArt Institute of Chicago