マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

楽しさばかりが溢れている

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Photo by Syd Sujuaan on Unsplash

 この記事は人生advent calendar 2018の19日目の記事です。

 楽しさばかりが溢れている。そのような日々を過ごしている。コーヒーを飲んだり、文章を書いたり、ものを作ったり、会社へ行ったり、子供の世話などをしている。どれもが日常にあるべき物事であるが、私はそれに楽しさを感じる。なぜか。コントロールできることが何かわかったからだ。

 日常には自分でコントロールできることとそうでないことがある。今日はどんな靴を履くかはコントロールできるが、犬の糞を不幸にも踏んでしまうのはコントロールできない。そんな当たり前のことを最近になるまでわからなかったのだ。雨が降るのはどうしようもない。自分のせいではない。それならば傘をさせばいい。そうだね、そのとおり。

 決められることと決められないことがわかると、悩みは課題に変わる。漠然とした不安とか悲しみがまわりをとりかこむようなことはなくなる。定量的に、段階的に物事を進めることができる。例えば上司の言動や行為はこちらで決めることはできないが、それに対する自分の行為は決めることができる。生命を脅かすようなハラスメントだったらしかるべき機関に言えばいいし、そこまでではないなら距離をとったり、他の上司に相談すればいい。人間というのはひとりひとりが別個の人間だから、みんな違う。当たり前だが大事なことだ。

 コントロールとか選択とかそのような前提を念頭に置くと、世界はいいかんじにまわってくる。そうして、この世界の自由度を実感できる。ほんとうにすごいね、この世の中は。なんでもできる。わりと自分の選択できる範囲が広いことに気づく。

 今は技術士の勉強が楽しいのでそれをやっている。無事に合格したら3DCADをもっと勉強して3Dプリンターでがつがつつくってなんか売りたい。それができたら停止気味なディープラーニングの学習も再開したい。そうしてゆくゆくはロケットをつくって火星へ行きたい。


 そうやって生きている。


Fab ―パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ (Make: Japan Books)

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つくるの涅槃と近況

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Photo by Bjørn Tore Økland on Unsplash

 この1ヶ月ほど、ひたすらイケアの家具を組み続けるような仕事をしていた。図面を引き、部品を注文し、加工依頼をし、届いたものをひたすら組む。組む。組む。あたりは工作機械の機械音が響いていて、ロボットが常に動き回っていた。そうして私は息をしていた。全てのボルトは締結されている、そんなことを考えた。世界に偏在しているボルトは誰かの手によって締結されたものであり、それは作られたものなのだ。そういうあれだ。

interestor2012.hatenablog.com

 farmtory-labのチームに入ることが許された。農業よりなメイカーの集団で、いろんなことをやっている。私は地方在住なので完全にリモートなメンバーであるが、協力できることは協力したいと考えている。それにしても時の欲しさよ。最近は何をするにも時間がなくていやになってしまうけど、それでもやりたいことは増えるばかりなのでやっていくしかない。そういう理由で、創作活動もなるべく短時間で済むようなものをやることにした。私はそれをワンセンテンスmakeと命名した。

 つくる、という行為を突き詰めるといったいどこへ向かうのか。自然発生的な「なる」と、創造する「つくる」の境はどこにあるのだろう。それこそ3Dプリンターやレーザーカッターを使わなくてもmakeはできるはずなのだ。つくるの涅槃を探そうではないか。

 
 

Handmade Electronic Music ―手作り電子回路から生まれる音と音楽 (Make: PROJECTS)

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ペガサス幻想そうさ夢だけは

 いつのまにか十二月になってしまった。なにかの拍子で十一月に戻らないかしらんと不安に思ったが、そんなこともなかった。時間は経過している。しかし、不思議だ。三次元は自在に移動可能であるのに、なぜ時間は一様にしか流れないのだろう。きっと聖闘士星矢が関わっているに違いない。ペガサス幻想そうさ夢だけは誰も奪えない心の翼なんだね。通勤路はだれかのペガサス流星拳によって粉々になってしまって、会社に着くまでに少し時間がかかる。そんなことはない。

 入社して五年経つがいまだに仕事の奥深さに驚きを覚える。まだやれることがいろいろありそうだ。できることならあと500年ほど生き続けて、あらゆるものを作れるようになりたい。そこに会社はあるのかは知らない。そうなったら自分でなんとか食べていこうか。今年もめでたく賞与がいただけるようだ。ありがたい。今回のそれはベランダに屋根を追加するのに使おうと思う。残りは子供らの学費の貯金へ回したりなんか美味しいものを食べよう。あぁ、お金ってすごいね。

 技術士の勉強をしながらモノづくりプロジェクトをすすめる。これはきっと右へ進みながら左へ足を運ぶのと同じようで両立しない。どっちつかずに終わりそうな気もする。でも、なんとかやっていけるようにしたい。それぞれの出力行為を30分程度でできるくらい小分けにしてしまって、スタンプカードのようにみみっちく達成感を集めよう。

許された文章

 許された文章、というものがあった。遠い現実から近くの理想までのみちのりをただ確かめながら生きていた。自動で開く改札のドアを打ち消すように音がなった。階段にはある程度の規定があって、踏みしろと蹴上げの寸法は定まっていた。意味がわかるようでわからない文章を書きながら、心を落ち着かせていた。アリストテレスの本はなかなか思うように進まず、年内に頑張ればいいかなというスタンスになりつつあった。そうして、日々の目標を後ろ倒しにして、当面は生存する。

 技術士の二次試験を来年受けることにしたので、対策講座を受講した。匠さんが主催しているものだ。
takumi296.hatenablog.com
 いまはただ作文を書いているだけだけど、それでも楽しい。技術士の意義、というか目的は「技術的な課題を解決し、社会に貢献すること」である。そのため、それぞれの文章は問題提示し、それを解決する方向へもっていかないといけない。ただ漠然としたアイデアではだめで、ある程度のデータを持たせる必要がある。いろいろ勉強する。それが楽しい。

 喉が痛い。けれども、私の場合はだいたいの風邪は鼻からはじまり、のどの痛みで終わりになるのでもうすぐ回復するだろう。よかった。

知識と文章 / テアイテトス

https://www.instagram.com/p/BpNVG6nAFRT/

 七五三の前撮りにあわせて家族写真をとった。できたものをみると、なんだかわからないが家族になっていた自分がいて、少しだけ困った。昨日まで自分が大学生だったような気がしていて、今日も補講とかサークルとかそんな分野の悩みを持ち合わせている雰囲気だった。まぁぜんぶ気のせいなんだけど。

 岩波文庫目録をめぐっていると、ふと哲学書を時系列に読み進めたい思いが発生した。というわけで、適当に選び適当に本を読むことにした。プラトンの「テアイテトス」を読んだ。プラトンというひとが書いた、よくわからないお話だった。テーマは副題のとおりで「知識について」である。

 「知識であるのは、テアイテトスよ、君のいう感覚でもなければ、また真なる思いなしでもなく、そうかといってまた真なる思いなしに言論の加わってできるものでもない」
p296

 これが結論だった。これさえわかればあとは読んでもいいし、読まなくてもいい。テアイテトスというのは当時に彼らの間で話題になった優秀な若者のことで、戦争でなくなってしまった。「かわいそうだな」「もったいないなぁ」そういう流れで、プラトンがソクラテスとテアイテトスが話しているていで物語を書き進めていった。

 テアイテトスはソクラテスに持論を展開していくが、ソクラテスはそれらをすべて否定する。じゃぁいったい何が正解なんだよという気持ちが充実していくが、「〜〜ではない」ということもひとつの答えになる気がする。

 我々は知識を定義づけることもせず、日常で息をしていて、それでいて知識人とか有識者とかそんな単語を作っている。それは全く悪いことでなく、そんな定義をつけてしまったらきっと物事の進歩はめっきり遅くなっていたはずである。それほど知識の定義づけは難しい。しかしながら、昨今のAIブームでようやっとその知識について考えを深めなくてはいけなくなってきた。機械に何を知識とするか。本当に強化学習のみで知識の全容が解明されるのか。

 多分違うんだろうな。

 その正しさはそれ自体によって決定することはできない。これが不完全定理の結論だった気がする。何かの正しさを論じるなら、それを支える何かが必要になるのだ。テアイテトスには登場してこなかったが、プラトンの言葉の端からイデア的な概念を感じ取れる。絶対的な真善美がいるんだよーと。

 この話を結論づけることは相当難しく、私たちはその場しのぎで対応で今まで生きて来た。それでなんとかなっているんだから、これからもこのままでいいのかもしれない。
 

テアイテトス (岩波文庫)

テアイテトス (岩波文庫)