七五三の前撮りにあわせて家族写真をとった。できたものをみると、なんだかわからないが家族になっていた自分がいて、少しだけ困った。昨日まで自分が大学生だったような気がしていて、今日も補講とかサークルとかそんな分野の悩みを持ち合わせている雰囲気だった。まぁぜんぶ気のせいなんだけど。
岩波文庫目録をめぐっていると、ふと哲学書を時系列に読み進めたい思いが発生した。というわけで、適当に選び適当に本を読むことにした。プラトンの「テアイテトス」を読んだ。プラトンというひとが書いた、よくわからないお話だった。テーマは副題のとおりで「知識について」である。
「知識であるのは、テアイテトスよ、君のいう感覚でもなければ、また真なる思いなしでもなく、そうかといってまた真なる思いなしに言論の加わってできるものでもない」
p296
これが結論だった。これさえわかればあとは読んでもいいし、読まなくてもいい。テアイテトスというのは当時に彼らの間で話題になった優秀な若者のことで、戦争でなくなってしまった。「かわいそうだな」「もったいないなぁ」そういう流れで、プラトンがソクラテスとテアイテトスが話しているていで物語を書き進めていった。
テアイテトスはソクラテスに持論を展開していくが、ソクラテスはそれらをすべて否定する。じゃぁいったい何が正解なんだよという気持ちが充実していくが、「〜〜ではない」ということもひとつの答えになる気がする。
我々は知識を定義づけることもせず、日常で息をしていて、それでいて知識人とか有識者とかそんな単語を作っている。それは全く悪いことでなく、そんな定義をつけてしまったらきっと物事の進歩はめっきり遅くなっていたはずである。それほど知識の定義づけは難しい。しかしながら、昨今のAIブームでようやっとその知識について考えを深めなくてはいけなくなってきた。機械に何を知識とするか。本当に強化学習のみで知識の全容が解明されるのか。
多分違うんだろうな。
その正しさはそれ自体によって決定することはできない。これが不完全定理の結論だった気がする。何かの正しさを論じるなら、それを支える何かが必要になるのだ。テアイテトスには登場してこなかったが、プラトンの言葉の端からイデア的な概念を感じ取れる。絶対的な真善美がいるんだよーと。
この話を結論づけることは相当難しく、私たちはその場しのぎで対応で今まで生きて来た。それでなんとかなっているんだから、これからもこのままでいいのかもしれない。
- 作者: プラトン,田中美知太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/12/17
- メディア: 文庫
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