書き直しを許さない文章というものは、たしかにこの世界には存在していて、それは言葉だ。しかし、言葉は形にはのこらないため、受け手が各々の裁量によって都合よく解釈する。そのため世界はきれいにまわりつづける。そうやって息をしているのだ、我々は。二月は吹き飛ばされてしまい、もうすぐ三月がやってくる。私は今年なにをしていたのか。また何もせずに終わってしまいそうな予感がして、ちょっとさみしいし悲しいな。
「メカ屋のための脳科学入門」を読んだ。人間の脳の構造を生物系のバックグラウンドがなくても理解できるように、楽しげな説明がなされていた。聞いた単語はいくつかあったが、ほとんどは知らないことだった。私たちの体は60兆個の細胞でできてて、そのうち脳みそは1000億個の細胞を有している。その比率が多いのか少ないのかわからないけど、大変な量だった。ちなみに大脳には100億個の細胞があって、これは世界人口と似たようなオーダーだ。なんでこんなに入っているんだろうね。
体の内外の情報は神経細胞によって受け渡される。かれらは互いに強固なネットワークを結んでおり、いいかんじに生きている。しかし、この情報が行き交う速度は人間のあるく速さと同じくらいで、ブロードバンドとはほど遠いものだった。しかもそれは場合によって早くなったり遅くなったりするらしい。なんていい加減なんだ。
いい加減というのをかっこよくいうと、「ロバスト」とか「冗長性」というらしい。余白か。私のブログでも余白については何度か言及しており、私自身の人生のテーマになりつつある。外部の刺激、環境というものは変化するのが常であり、それを100%予測するのは不可能である。それなら変化に対応できる余裕を設けておけばよく、それが場合によってロバストとか余白とかはめあい公差と呼ばれるのだ。
このまえ帰るときに月を見上げて、私と彼との距離感、圧倒的スケール差にうちひしがれた。いつになったら私は月まで行けるのだろう。というよりも、私は本当にそれを願っているのか。実現不可能な願いを念頭におくことで、現実から逃げてはいないか。しかし、逃げたらダメとはだれが考えたのだろう。こうやって私は自分の望みをこどもに託しそうになるが、それはまだ早い。彼が大人になる頃にはすべての情報が完全にプリインストールされていて、人間は予測通りに動くのか。予測は現実になるのか。なんか違う気がする。
どうでもいいことを書いた。脳神経のことがらは結構面白そうだったので、もうちょっと本を読んでみようかな。いや、本を読む前に適当に何かつくって知識を深めておこう。このまえ書いた黄金比スケールをつくって、あとは白銀比スケールもつくろう。
メカ屋のための脳科学入門-脳をリバースエンジニアリングする-
- 作者: 高橋宏知
- 出版社/メーカー: 日刊工業新聞社
- 発売日: 2016/03/25
- メディア: 単行本
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