計算されない書き出し
書き出しに慎重になりすぎるのは、そこへ期待をかけすぎているからかもしれない。はじめの一文で全てが言い切れるような、そんなものを目指していたのか。それは私には荷が重すぎたため、こうして緩みきった文章を打ち続けているのだが。
ペンローズの量子脳の本を読んだ。以前にWIREDで彼の話が紹介されてから、「いつか読んでみたいな」と思っていて、それがやっと実現された。よかった。ペンローズはイギリスの数学者・物理学者で1931年生まれの85歳。おじいちゃんだ。量子脳というのは、人間の意思(脳)は量子力学と関連が深いという考え方から生まれた言葉だ。量子とは電子レベルの大きさのやつらで、米粒よりもちっちゃい。我々の脳がそのような見えないやつらに影響されているらしい。そいつぁすげーや。しかしながら、ペンローズじいさん曰く、意思の仕組みを捉えるには量子力学的だけでは足りないらしい。
私自身のアイデアの中心になるのは、「計算不可能性」(non-computability)です。現在知られている物理法則は、すべて計算可能なタイプです。つまり、私たちは、現在の物理学の描像の外側に行かなければならないのです。
p83
計算不可能というのは誤訳かもしれない。正しい意味は「計算ではない」「非計算」である。処理能力が足りなくて答えがでないというものではない。計算では求まらない何か。それが意思が発生するプロセスに登場するらしい。へー。直感とかなんとなくとかというのは本当にあるのかもしれない。
ORとOrch OR
それでは、今日から使えるかっこいい用語を紹介する「意識高い高い用語」のコーナー。今回はこれ。
客観的な波動関数の収縮(Objective Reduction=OR)
組織化された客観的な波動関数の収縮(Orchestrated Objective Reduction=Orch OR)
意識はいかに生まれるか。ペンローズは客観的な波動関数の収縮がひとつのタイミングになっていると説く。よくわからないが、あやふやになっている雲がある時点で輪郭を明らかにするようなイメージだ。それをORと言っている。さらに、脳内のたんぱく質は大量に発生するORをチューニング(オーケストラの指揮者のように)してやる。これをOrch ORといい、そうやって意識が生じるのだという。
そんな仕組みが脳のどこにあるのか。ペンローズはマイクロチューブルにあるよ、と言う。それは細胞の中にある直径25ナノメートル(1ナノメートル=1/1000ミリ)の筒状の構造物であり、チューブリンと呼ばれるソラマメのような物体で構成されている。チューブリンのひとつひとつがONとOFFの状態を重ね合わせて持っており、それらが複雑に反応しあって意識が生まれるのだとか。正確にはよくわからなかった。
非計算は人間にしかできない。
少なくともある種の意識的状態は、それに時間的に先立つ状態から、アルゴリズム的プロセスによっては導かれないということである。このことこそ、人間(そしておそらくは他の動物)の心を、コンピュータと区別しているのである。
p147
意思は非計算的(直感、なんとなく)な要素によって成り立つ。AIにはできない芸当だ。彼らは計算によって成り立つものしか考えることができない。これは今の理論の枠を飛び越えて考えることができない、ということだ。「完全な数学理論は存在しない」というゲーテルの不完全性定理も彼らには理解できない。いづれシンギュラリティが訪れてコンピュータが私たちを駆逐するとか、そんなことが騒がれているが、どうもそうならない気がする。「なんとなく」を持つ人間にしかできないことはきっとあるはずだ。
楽しい本だった。
ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて (ちくま学芸文庫)
- 作者: ロジャーペンローズ,Roger Penrose,竹内薫,茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/09
- メディア: 文庫
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