マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

noteの音声配信ばかりやってる / たのしさのなかにいる

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photo by Casey Horner

 全然ブログを書いていなかった。しかも文章化する脳みその働きに少し違和感を抱く。いままでは単純に文章化用の神経回路の働きを促してやるだけでよかったが、今回はそれとは異なる。信号が流れる向きを変えてから強化してやらないといけない。noteで音声配信を始めたのが原因である。

 からあげさんがnoteで音声配信をやっている。
karaage.hatenadiary.jp

 楽しそう!と思ったので自分もはじめることにした。
note.mu

 録音はandroidアプリの簡単ボイスレコーダーをつかった。編集はReaperをつかった。自分のつぶやきを適当にまとめているだけだが、それでも楽しい。現在第三回まで公開している。第五回目まで録り溜めしているので、少しずつ放出していく。

 私の楽しさの根源はどこにあるのか知りたい。いったい何を基準にしているのだろう。その基準がわかれば楽しさをいいようにコントロールして、集中したり拡散したりできるのになあと思う。最近は周囲に楽しいことがありすぎて大変なことになりつつある。あれもやりたいし、これもやりたい。ひとつずつ片付けるしかない。片付けるという表現も妙だが、実際そんなかんじだから問題はない。

 音声による思考の整理は文章によるそれとすこし異なり、なんだか興味深い。文章はあとから編集ができるためよりよい言葉だけを表示させることが可能だが、音声はそんなことができない。一過性のものだからやり直しがきかない。それでもリアルタイムに思考の流れを感じることができて非常にエキサイティングだ。そこまでではないか。

 ひとりごとをずっとしゃべっているのが純粋に楽しいだけなんだとおもう。たのしさのなかにいる。

スーパー☆近況報告

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Photo by Alberto Restifo


 木魚叩きロボットは製作を停止することにした。3Dプリンターの稼働がネックになっていて、フィラメント代がバカにならないのと、深夜に動かすと稼働音で子供が起きるかもしれないためである。あと、機械の熱で部屋がくそ暑くなる。おかしいよね、外気の最高気温が37度くらいだけど、いま部屋の中で動かしたらサウナになりそう。私の書斎には冷房はありません。日中は使わないので問題ないけど、大変だー。

 いろいろあって、車で通勤することになった。出社時間も早くなって、退社時間も早くなった。早寝早起き。通勤次に車内でVoicyを聞いてるけど、ただ聞くだけだとなんか物足りなくなってきた。id:karaageさんのように音声配信でも始めようか。地声をオープンにするのはなんだか嫌なので、機械にしゃべらせよう。音声認識ソフトで声を文章化させて、そいつをゆっくりさんに変換させてみよう。

 先日の記事からAidemyでPythonの勉強を始めている。これすごいね。環境構築もくそもいらない。フリーメールでアカウント登録するだけでプログラミングができる。とりあえず無料でできるところまでは頑張ってやりたい。あとは今月中になんかつくって公開する必要があるのだけれど、なににしようか。トポロジー最適化をディープラーニングでやってみたいけど、ぜんぜん仕組みがわからない。文字列処理をつかって短歌でもつくろうか。

 いろいろやってみますー。
 

はじめてのトポロジー (PHPサイエンス・ワールド新書)

はじめてのトポロジー (PHPサイエンス・ワールド新書)

ディープラーニングの学習とAidemyコンテストへの応募/ゼロから作るDeep Learning

https://www.instagram.com/p/BlydPMRAUnI/

 息子に時間の概念を伝えようとしているが、今日と昨日と明日をなんと説明すればいいかわからない。それはつまり過去と未来を切り分けることであるが、なんとも言語化が難しい領域だ。ほんとうにウィトゲンシュタインの「意味とは使用」というのが実感できる。日常で使用しながら意味を理解していくしかないのだ。

 楽しそうだったのでディープラーニングの本を買った。「ゼロから作るDeep Learning」というやつで、魚が表紙になっている。読んでみたらやっぱり楽しかった。ディープラーニングのおおまかな理論と実装の例が書かれている。プログラムの作り方を一から丁寧に書いているわけではないので、これを読めばなんでも作れるようになるわけではない。まぁ、そのあたりは調べながらやっていこう。

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妻と記憶 / 妻が願った最期の七日間

https://www.instagram.com/p/Blle-azAr6D/

 久しぶりに本を読んだ。「妻が願った最期の『七日間』」というタイトルで、今年の三月に新聞に投書された記事がもとになっている。投稿者は宮本英司さん。一月に妻の容子さんをガンで亡くし、彼女が生前に残していた「七日間」という詩を元に投稿した。「神様お願い/この病室から抜け出して/七日間の元気な時間をください」から始まるその詩は掲載されると大きな反響を呼び、今回の書籍化につながったそうだ。本文は詩の全文と、容子さんの闘病中に夫妻がやりとりした「交換日記」の一部が掲載されている。日記はふたりの出会いからはじまっていて、長い人生の中で印象に残った箇所を時系列に書き合っている。

 ここからはだいたい私の思考の垂れ流しになるのだが、この本を読んで自分と妻のことをいろいろと思い出した。宮本夫妻と同様に、私たちも大学時代に知り合った。サークルが同じだったのがきっかけだが、入部した当初はそこまで話すこともなかった。練習は週に二回で時間も夕方の二時間程度で、週末に大きなイベントがあるわけでもなかった。(実際はあったが、当時はいくつかサークルをかけもちしていて、あまりそこへ労力をさくことができなかった。二年の春に、サークル団体の関係者と親しい部員が登場し、われわれのサークルも部室を持てるようになった。私も妻もそこへ入り浸った。

 部室が格納されているサークル棟は夏でもひんやりとしていて、すこしカビたような湿った匂いがした。いろいろなサークルの部室が入っていたので、あちらからは金管楽器の音が聞こえてきたし、こちらかはカードゲームに興じる学生らの声がしていた。私たちはいくつかの話をした。あまり内容は覚えていない。他愛のないものだった気がする。2年の前期はお互いに授業の空きコマが被っていて、よく部室で遭遇した。そうやって、一緒に話したりご飯を食べているうちにいろいろあって、先月二人目の子供が生まれてた。ぶつぎりの文章というのは恐ろしい。

 私は記憶についてあまり意識しない人間になってしまったので、妻とどこへいったかとか何をしたかとかはあまり覚えていない。そうして、そのとき自分が何を感じていたかも覚えていない。ただ、妙に記憶にあるのが、初めて妻をサークルの部室へと案内した一場面なのだ。その絵だけはなんかしっくりくる。こういうしっくりを積み重ねていけばよい人生を送れるのかもしれない。知らんけど。

 私が「できれば130歳くらいまで生きたい」と伝えると、妻が「私はさきにいくから」と言う。だからたぶん私のほうが長生きしそうな気がする。妻が死んだら私はなにか文章でもって伝えることをするだろうか。宮本さんのように素敵な言葉のやりとりを保管できるだろうか。自信がない。けれども結婚してよかったなとは胸を張って言える。言わないけど。

妻が願った最期の「七日間」

妻が願った最期の「七日間」

実存の叙述

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Photo by Jeff L on Unsplash

 単語に関税がかけられているような貿易摩擦が終了した。私はなににおいても自由だし、このスピードは誰にもおいつけないし、周回遅れのわらびもちは水色で涼しげだった。そういう日々だ。西日本豪雨からしばらく日数がたち、日常が少しずつ取り戻されつつある。コンビニの品揃えも充実してきたし、昨日通れなかった道が今日通れるようになっていた。思い出すこともたくさんあるだろうが、それと同様に忘れ去れたものも確かにあるのだ。知らんけど。

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