単語に関税がかけられているような貿易摩擦が終了した。私はなににおいても自由だし、このスピードは誰にもおいつけないし、周回遅れのわらびもちは水色で涼しげだった。そういう日々だ。西日本豪雨からしばらく日数がたち、日常が少しずつ取り戻されつつある。コンビニの品揃えも充実してきたし、昨日通れなかった道が今日通れるようになっていた。思い出すこともたくさんあるだろうが、それと同様に忘れ去れたものも確かにあるのだ。知らんけど。
一般性相対性理論のことについて書こうと思ったが、ほとんど忘れてしまった。これからまた勉強し直すのも面倒だし、やる気がでたらまたやっていけばいいということにした。あの不変式論とテンソル理論の拡張は、いつかの夏に置いてきた。
D. 実在はなぜ1つの連続な場では決して表現できないかということに対しては、立派な理由を与えることができる。量子論的現象から、有限のエネルギーの有限な系は、有限個の数(量子数)によって完全に叙述できるということが、確かであると思われる。これは連続体の理論と両立するとは思えない。したがって、実存を叙述するためには、純代数的な理論を見出す試みへ導くにちがいない。しかし、このような理論の基礎を得るにはどうすればよいかは、誰も知らない。
p220
我々はそのような形容しがたい実存のなかに身を置いている。その自覚を持ちたい。それによってなにが変わるのかというと、まったくどうともならないのだが、それでもパワーウィンドウの向こうからやってくる夏の風にごくごく小さな優しさを抱くことになるはずだ。これはまったく完全なひとりごとだが、もしかしたら実存の叙述には次元という概念を取り払わなくてはいけないのかもしれない。次元によらない成分が実存には多量に含まれていて、私たちの観念を形成する役目も担っているにちがいない。こうなってくると物理学はどことなく抽象的になり、数学というか哲学になる。そのようなものか。
大学のころに習った線形代数は数学というより文学に近かった。板書をノートに書き写すと、サンスクリット語のような雰囲気が出ていた。存在や非存在が点在していた。そこまで嫌いではなかった、とおもう。これも10年ほど前の話だから当時のわたしは何を考えていたのか知らない。昔から好き嫌いに無頓着な人物だったはずで、好き嫌いを覚えていることのほうがまれだったからだ。様々なことがあった気もするが、こうして生きているのだからなにも問題はない。
ぶつ切りになってしまったが相対性理論の話はここらで終わりにしようとおもう。つぎはディープラーニングについて書く。魚の本買ったし。
- 作者: A.アインシュタイン,内山龍雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/11/16
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 79回
- この商品を含むブログ (60件) を見る