マトリョーシカ的日常

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妻と記憶 / 妻が願った最期の七日間

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 久しぶりに本を読んだ。「妻が願った最期の『七日間』」というタイトルで、今年の三月に新聞に投書された記事がもとになっている。投稿者は宮本英司さん。一月に妻の容子さんをガンで亡くし、彼女が生前に残していた「七日間」という詩を元に投稿した。「神様お願い/この病室から抜け出して/七日間の元気な時間をください」から始まるその詩は掲載されると大きな反響を呼び、今回の書籍化につながったそうだ。本文は詩の全文と、容子さんの闘病中に夫妻がやりとりした「交換日記」の一部が掲載されている。日記はふたりの出会いからはじまっていて、長い人生の中で印象に残った箇所を時系列に書き合っている。

 ここからはだいたい私の思考の垂れ流しになるのだが、この本を読んで自分と妻のことをいろいろと思い出した。宮本夫妻と同様に、私たちも大学時代に知り合った。サークルが同じだったのがきっかけだが、入部した当初はそこまで話すこともなかった。練習は週に二回で時間も夕方の二時間程度で、週末に大きなイベントがあるわけでもなかった。(実際はあったが、当時はいくつかサークルをかけもちしていて、あまりそこへ労力をさくことができなかった。二年の春に、サークル団体の関係者と親しい部員が登場し、われわれのサークルも部室を持てるようになった。私も妻もそこへ入り浸った。

 部室が格納されているサークル棟は夏でもひんやりとしていて、すこしカビたような湿った匂いがした。いろいろなサークルの部室が入っていたので、あちらからは金管楽器の音が聞こえてきたし、こちらかはカードゲームに興じる学生らの声がしていた。私たちはいくつかの話をした。あまり内容は覚えていない。他愛のないものだった気がする。2年の前期はお互いに授業の空きコマが被っていて、よく部室で遭遇した。そうやって、一緒に話したりご飯を食べているうちにいろいろあって、先月二人目の子供が生まれてた。ぶつぎりの文章というのは恐ろしい。

 私は記憶についてあまり意識しない人間になってしまったので、妻とどこへいったかとか何をしたかとかはあまり覚えていない。そうして、そのとき自分が何を感じていたかも覚えていない。ただ、妙に記憶にあるのが、初めて妻をサークルの部室へと案内した一場面なのだ。その絵だけはなんかしっくりくる。こういうしっくりを積み重ねていけばよい人生を送れるのかもしれない。知らんけど。

 私が「できれば130歳くらいまで生きたい」と伝えると、妻が「私はさきにいくから」と言う。だからたぶん私のほうが長生きしそうな気がする。妻が死んだら私はなにか文章でもって伝えることをするだろうか。宮本さんのように素敵な言葉のやりとりを保管できるだろうか。自信がない。けれども結婚してよかったなとは胸を張って言える。言わないけど。

妻が願った最期の「七日間」

妻が願った最期の「七日間」