私の脈拍の遅さは、日々のBPMの遅さだと解釈した。私たちは同じ時間軸を生きている共同体だ。そうやって信じてきたけど、朝の五分は足早に去るし、給食の五分前ではなぜか時計はほぼ止まる。時間はいくらでも伸縮自在であり、ネテロ会長はそれを利用して余った時間を祈りにあてた。
相対性理論を語る前に静止エーテル説について説明する必要がある。17世紀後半、物理学者の間では光の正体について活発な議論がなされていた。光とはなんなのか。粒子っぽいのか、波っぽいのかが問題だった。確かに光は粒子っぽい反応を示す。ほら、まっすぐ進むし。そうやってニュートンは光は粒子だとした。しかしその後、光は迂回したり干渉して強めあったり弱めあったりすることが発見された。これは波の性質そのものだった。そうして「光は波だ!」という波動説(波派)が有力になった。
しかし、しかしばかりの逆説で申し訳ない。光は真空中の宇宙をまっすぐつき進む。波はなにかを通してしか伝わらない。高潮には海が、音(音も波である)には空気がそれぞれ存在している。それでは光の媒体はなんなのか。そこでホイヘンスさんはエーテルというやからを持ち出してきた。この世は、この宇宙は静止したエーテルで満たされていて、光はそれを通してやってくる。これが冒頭の静止エーテル説である。
ポアンカレ著の「科学と仮説」には、仮説について何かしらが書いてあった。たしか、便利な仮説は生き残るし、人々の考えをやさしくしてくれるといった旨が記述されていた。あやふやである。このエーテルとかいう理論はまさしくそれだったが、真空中は光だけじゃなくて電磁波も伝わることがわかり、彼には光だけじゃなく電磁波も運ぶという役目も付け加えられた。だんだんと息苦しくなってきた。
極めつけは地球の絶対速度を測定する実験が失敗に終わったことである。「エーテルが静止しているなら、地球はエーテルに対してどのくらいの速さで動いているかわかるんじゃないか」そうやってマイケルソンたちは実験を試みたが、答えはゼロ。地球は止まっていたのだ。天動説の再来である。
そこで実験の再検討や、物理学の常識の見直しが行われた。ローレンツは収縮仮説を提唱した。エーテルの中を物体が動くとき、それは動く方向に若干縮んでいるんじゃないか。という説だった。ゴムボールならぐにゃぐにゃだが、剛体が縮むという話だ。そんなことがあり得るのだろうか。でもそうしないとつじつまが合わない。彼らは良さげな仮説を探していた。そこにアインシュタインが登場する。
人々はあたかもそれらが絶対的な実在であるかのように、空間の点および時間の瞬間について語る。時空を指定する真の要素は、4つの数x1,x2,x3,tで与えらえる事象であるということが注意されていなかった。何かが起こっているという考えは、つねに4次元連続体のそれである。
岩波文庫「相対論の意味」p47
アインシュタインは物体が変形するのではなく、時間のありかたが変化すると考えた。三次元の空間と同様に、時間も同じ変数として語られるべきなのに、今まで私たちはそれを絶対的な指標として使っていた。時間もぬるぬる動くものである。なんとも素晴らしい発想だろうか。
こうして物理は時空という概念を導入して、いいかんじにわっしょいしてくる。時間とは認知されるリズムであって、認知は光によってなされる。ひかりあれ。次回はようやっと特殊相対性理論を勉強する。
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