マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

私の読書スタイル—モフモフ社長の記事への回答


photo by Adi Ulici

 日々、業務の圧が高まっている。終わらせなくてはいけないことが滞っていて、それに畳み掛けるように新しい仕事が入ってきている。どんどん予算をつくって、どんどん設計をして、どんどんものを作っている。毎日がつくってあそぼ、エブリデイ☆ゴロリである。いったいどこからお金を引っ張ってきているのだろう。それでも自身の気分が悪くならないのはただ単純なことで、仕事が楽しいからだった。

okayasu.hatenablog.jp

 記事を読んで、自分の読書の姿勢に向き合うことにした。といっても、私には読書のスタイルという確立されたものはなく、ただひたすらページをめくるだけだった。あぁ、でも時々線をひくなぁ。数年前は一週間に三冊ほど書評を書いていた時期があって、わりとたくさんのページをめくった気がする。わかりにくい本はなんどもページをめくっては線を引いた。何回も読み直した。読み直すというのは同じパラグラフだけに焦点をあてるやりかたではなく、さいしょからさいごまで通読していくのだ。ペンキを上塗りするように。一回目は読み終わるときはもう冒頭のやりとりは頭から抜け落ちているが、二回目三回目と続けていくうちに自然と残るようになる。

 基本的に読書は書評とセットで行うので、書くために読むことがある。どんなにいいことがたくさん書いてあっっても文章は限られているので、引用は数カ所しか行えない。そこから自分の経験とか思索をつらつらと垂らしていく。だから本の内容を完璧に理解できることは少ない。それでもいいかなと思っている。昔、サークルの先輩が「読書は溜まっていくものがある」と言っていた。そんなニュアンスだった。体内に浸透した言葉は、意識せずとも生活のどこかで変革を行っているのだろうか。きっとそうだ。

 何年か前に読んだ本で、ひとびとの読書のやりかたをインタビューしてまとめた文庫があった。
【書評】本を読むことは面白い。今もむかしも。/「私の読書」【感想】 - マトリョーシカ的日常
 で、この書評記事を読み返したけれどなにひとつ思い出せなかった。そのようなものだ。

 何を書きたいかわからなくなったが、私の読書スタイルは無に等しく、読んだ本のことは特に覚えていないというのは確かだ。

私の読書法 (岩波新書 青版 397)

私の読書法 (岩波新書 青版 397)