速さは全てを凌駕するというが、文章にも同じようなことが起こるのだろうか。私はいままで何かを考えながら文章を紡いでいた。だいたいの統合性とかリズム感を肌で感じ取っていたのだ。しかし、それは全部無駄なことではないか。大切なのは自分の匂いを質感を重心を整えてやることであって、そうしながら教えることではないか。私がいま考えているのは電源タップのことだ。だれかがタップという単語を使うを聞くと、ネジ形状を形作るあれではないかと連想してしまったが、彼は電源タップのことを言っていた。新しいデスクにはコンセントが二口しかないから、タップでもって口を増やそうという算段である。しかしながら、口を増やしたところで受け入れらる容量が増えるわけではない。限界量は同じなのである。それでも人間はあたかも制限が緩くなったように感じてしまう。それがいけないのだ。知らないけど。
朝刊を夜に読むようになったが、たいして情勢に影響はない。私に時差が生じただけだ。北朝鮮はみんなと仲良くなろうとしているのか。急に態度を翻したので日本の偉い人はちょっと戸惑っている。「今まで我々がしてきたことはなんなのか」とそう言いたげである。圧力をかけて緊密に連携をかけてきていいかんじにあれしているのに、他の方々が協調してくれない。そんなところだろうか。私は思う。もしかしてサジェスト、制裁といじめってなにが違うのかと。大人による社会的に認められた、ルールに基づいたいじめを制裁というのではないか。悪意をもたないいじめを制裁というのではないか。それならばいっかと思った。どちらにせよ私は困らない。そんな世の中だ。
ときどきリセットボタンを押したくなる時がある。今まで築いてきたものをほぼ捨て去って、身軽な状態でどこかへ去っていきたいと。ただ、それはひどい横暴であり、現在の幸福に対して失礼にあたるのではないか。ここまで文章を紡いで、自身の中の逆接の多さに驚いた。順接の少なさも目に付いた。それで、だから、また、そういった言葉は文脈を考えればいらない。そのような現象が脳内で発火しているのだ。今まで同様に思索を重ねた彼らにならい、リセットボタンはどこにもなく、人生は配られたもので勝負するしかない、と結論づけよう。結論。
結論というのはまったく都合のよい言葉である。自体はつねに変化し続けているけれど、自分が考慮するのはここまでと定めて変化に適応しないからだ。でもこうすると変化し続けるのが良いことで、定形は悪いものというイメージがなされてしまう。果たしてそうだろうか。変わること、変わらないこと両方が良いことであり、良いこと悪いこと両方が良いことである。良さとは何か。goodnessとはなにか。評価関数を増大させることか。減少させることか。振動させることか。数値では表せないものか。真理か。生存に適した行為/意思を選択することか。生存は良さか。人は良さを求める。否、遺伝子は良さを求める。それでも腹は減る。我々は空腹により、色恋により、排泄欲により、思考をやめる。思考をやめることで生きながらえることができる。コンピュータは欲を知らない。常に考え続ける。しかしコードを引っこ抜けば死ぬ。社会的に死ぬ。どちらがいいか。わからない。
経験たる経験が必要だ。経験による文章はつよくやさしく、しなやかだ。そして何かを与えてくれる。千の言葉よりひとつの成果物を欲する世の中である。私はそれがほしい。
- 作者: 佐久間健人,井野博満
- 出版社/メーカー: 朝倉書店
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