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能動的な行動が私をそのようにさせているのなら、これまでのことはほとんど嘘偽りであって、これからも真実が語られることはないはずだった。文章や知識を得ることのみにそれを費やすとなると、自身の歩みはまったく進むこともなく、ただひたすらに立ち尽くすのみである。行動が必要であった。それは私の場合、書くことだった。
通勤時に「アンナ・カレーニナ」を読み進めている。ようやく中巻を読み終えた。いろんな人間が出てきて、それぞれが幸せを求めていた。作品の冒頭で浮気をしていたオブロンスキーは、妻との夫婦喧嘩も収束したらしくわりと幸せそうだった。彼の妻の妹(?)にあたるキチイはリョービンと結婚し、それなりにうまくやっていた。オブロンスキーの妹のアンナはヴロンスキーとかいう優男に言い寄られて不倫関係に陥ってしまう。ついにはアンナの夫、カレーニンと離婚というかそんなかんじの宙ぶらりんの関係にいたる。困ったなぁ。
ひどく驚いたのは、人間の恋とか愛とか夢とか幸せという概念は、100年前から変わってないということ。「この悩みは私だけのものだ!」と思っていても、地球上の誰かはすでに体験していたりする。物語には人間の中で生じる様々な思想が詳細に説明されていて、トルストイは人生何週目の人物なのかと疑ってしまった。
中巻を読み終えて、「なんだかなぁ」と思った。彼らは幸せだったり不幸せだったりするけど、それを分かつものは何だろう。倫理上正しいことを選択すれば、それは幸福につながるのか? いや、違う。アンナの夫のカレーニンは自分はなにも悪いことはしていないのに、非常に悲惨な状況に陥ってしまった。妻の不倫、浮気相手の子供の出産、それを許した!許してもなお苦しい。どうしようもない。でも、オブロンスキーは浮気をしたのに割と幸せそうな生活を過ごしている。この差はなんだ?運?
少し違うのは人間性か。カレーニンは友達が少なかった。仕事仲間はいたけど苦しいことを話せる人がいなかった。けれどもオブロンスキーはとっても社交的でリア充で、ウェイウェイやってた。あと、あっけらかんとしていて明るかった。他人に対して絶妙な距離感を持っていた。ある種の冷徹さというか、諦めといったものを備えていた。
この本は完成された問いを投げかけているような気がする。それがどんな問題で、どのような答えかはわからないけど。今月中に下巻を読もう。
- 作者: トルストイ,木村浩
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/03
- メディア: 文庫
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