また一週間が終わる。四月の浮き足立った気分は落ち着き、一日一日を淡々と過ごすようになった。安定したといえば聞こえはいいが、生活リズムがマンネリ気味になりつつある。朝起きて出社し、退社し、寝る。こんな暮らしがあと何十年も続く。それが良いことか悪いことなのかは僕は知らない。
物事には必ず入口で出口がなくてはならない。そういうことだ。
それでもきっと終わりは来る。転職するのか起業するのか定年退職するのか、はたまた事故死するのかそのあたりは定かではない。しかし出口は必ず存在する。存在してしまうのだ。あの懐かしい学生生活や居心地のいいサークルには戻れない。振り返ることはできても後戻りすることは出来ない。
ある種の寂しさを紛らわすために、人はピンボールに走るのだろう。ガチャガチャと動くボールとパネル、そしてフリッパー。「僕」は1973年にそれにはまる。
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
彼は高得点を目指すためにあらゆる技術を習得した。得点に比例して自尊心は満たされる。一時の幸福感。しかし時間稼ぎにも出口は存在する。あるとき、お気に入りのピンボール台が「僕」の前から姿を消した。後を追いかけて行きついた先は、ただ広い倉庫にぎっしりと並んだ七十八のピンボール台だった。マニアが収集していたのだ。この辺りの展開は芥川竜之介の『芋粥』に近いものを感じる。どんなに好きなものでも、それらが大量に無機質に並べられていると興ざめしてしまうものだ。
前にも書いたかもしれないが、社会人はゴールが見えない。年数の区切りも分からないし、目標も見つけづらい。それでも僕はピンボールはしたくないなあと思った。過去を振り返りながら時間稼ぎをする作業は何も産まれないから。
ひとつ。ひとつだけでいいから何かを作っていたい。
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