「秋の夜長は読書とブログ」
今週のお題特別編「秋の夜長は読書感想文をブログに書こう!」 - はてなブログ
しばらくは秋のお題特別編、読書感想文に応募する形で書評を書いていこうと思う。内容はいつも通り。
三度の飯より飛行術が好きなカモメのジョナサンは、その異端な考えから、ある日群れから追放されてしまう。落ち込みながらも飛行術に情熱を傾けるジョナサン。そんな彼の元にどこからともなく同じ思想を持つカモメたちがやってきて、彼を別の場所へ導く。そこは空を飛ぶのが大好きな者たちが集まったすてきな国だった。
生きるために必要のないことをする人
ジョナサンが元の群れにいたころは、彼の意味不明な行動を理解するものはいなかった。両親でさえもっと身になることをやりなさい、飛ぶことは食べるためにあるのだよと彼を諭した。
もしもお前がなにがなんでも研究せにゃならんというんなら、それは食いもののことや、それを手に入れるやり方だ。もちろんお前のその、飛行術とかいうやつも大いに結構だとも。しかしだな、わかっとるだろうが、空中滑空は腹の足しにはならん。そうだろ、え?わたしらが飛ぶのは、食うためだ。
こんな親とのやり取りは人間でもよくあることかもしれない。バンドマンになりたい、お笑い芸人になりたい、旅人になりたい。そんな若者の希望を彼らは安定という価値観によってばっさりばさりと切り捨てる。人気が出ないかもしれない、収入がないよ、休みがないよ。という風に。
ジョナサンもはじめは同意してみなと同じようにただ食うために飛ぶという毎日を過ごした。しかし自由に飛びたいという衝動に勝てなかった。そしてまた飛行術の練習を始めるのだ。
ひとつのことにひたむきに、それも楽しみながら努力すること。これはなかなか出来ないことだ。誰かに批判されようが関係ない。自分を貫いて、自信をもって、ひたすらやる。僕は幸いブログの運営を誰かにとやかく言われてはいないので、こうして無事続けることができている。しかしもし身内や大事な人から「ブログを止めてほしい」と頼まれたら僕はどうなるのか。それでも頑張るのか、あっさり止めるのか。その日が来ないとわからない。
そして彼は時間を置き去りにした
チャンというメンターと出会い、ジョナサンはとんどん飛ぶのがうまくなる。飛行速度も向上し、音速を超えてついに光速に到達した。チャンとの練習で瞬間移動もマスターしてしまった。もう僕はカモメが何なのかよく分からなくなってきた。「こ、ここは?」「ここはどこかの惑星さ」という会話のやりとりを読んだとき、「どこのジャンプ漫画だ」と思ってしまった。もっと頑張れば過去にも未来にも行き来できるらしい。
そう、とにかくジョナサンはすごい。すごい奴になってしまったのだ。
貢献したいという意志
そうして一人前(?)のカモメとなった彼だが、時々ふるさとのことを思い返す。あの群れには自分と同じような特異な存在がいるかもしれない。そんな奴の力になってあげたい。ふるさとに貢献したいという感情が浮かんで来たのだ。肉体的なスキルを上げたことによってより高次な考えができるようなったのだ。
後輩の指導のためにとどまってほしいと考える仲間と、それでもふるさとに戻りたいジョナサンとのやりとりは熱い。
あなたにとっての飛行術とは何だろう
スピンのない新潮文庫を新鮮な気持ちで読み進め、挿入されているカモメの写真に癒されながら読了した。週の始まりの少し混みいった電車内。まだ大学の最寄り駅には着いていない。短い小説だった。ふと、僕にとっての飛行術ってなんだろうと考えた。ブログ?プログラミング?電子工作?まだこれといって突き詰めることができていない。何か吹っ切れている人というのは体中から溢れるオーラが違う。僕もなにかを極めたらそうなれるのだろうか。
あなたにとっての飛行術とは何だろう。ジョナサンのように、周りに反対されても批判されても押し切ることができるようなこと。それが見つかれば時間という制約も超えて自在に生きることができる可能性が出てくるかもしれない。
おわりに
著者のリチャードバックは作家であり、また飛行家でもある。星の王子様のサン=テグジュペリを思い出すが、巻末の解説には両者は似ていないという旨が書いてある。いつか深く調べてみたい。
ちなみにサン=テグシュペリは享年44歳と短命だが、リチャードバックは1936年生まれで未だ健在である。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia
お題に答えるにはAmazonリンクをブログ機能を使って貼付ける必要があるらしい。
- 作者: リチャード・バック,Richard Bach,五木寛之
- 出版社/メーカー: 新潮社
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