リア充の王ではない
古典の王様、シェイクスピアからリア王の登場だ。マクベス、オセロー、ハムレットに並び四大悲劇のひとつと言われているようだが、どれも読んだことがなかった。シェイクスピア自体興味がなかったし、書店には他にも面白そうな本がたくさんあったから。
しかし時の試練に打ち克った作品は特別な強さを身につけている気がする。社会人になる前にその強さにあやかりたい気持ちがあった。というわけでブックオフで買った。100円。
ページをめくっていくと意外と読めることに気がついた。長いセリフに出会ったら読み飛ばしてしまえば良いし、あらすじはwikipediaで調べてしまえば良い。古典なんて意味を理解せずに、とりあえず頭に文字をしまっておけばいい。しばらくするとひょっこり出てくる。
あわれな老人
全く救いのないストーリーだ。リア王は土地やら権力なんかを三人の娘に分配することを決め、最も自分を好きで居てくれる娘に最大の恩恵を与えることにした。姉二人はうまいことを言うが、三女のコーディリアは「普通っす」と言い放ち、リア王は激怒。つい彼女を勘当してしまう。
そこからがひどい。父の身勝手さに姉二人は王の面倒をみるのをやめ、彼を見放す。リア王はぼけが進行し嵐の中でわめく、さけぶ。そんなことをしている内に親族同士が争い始め、ごたごたしてみんな死ぬ。そう、これはみんな死ぬお話なのだ。
もっと深く読み込めば多くのことが分かるはずだろうが、知ったこっちゃない。
会話文の中の情報量の多さ
リア王は劇の台本であるが、ほとんど会話文で構成されている。いちいち注意書きなどを掲載していない。それは動作に注意することがないのではなく、会話文の中に全ての情報が記載されているからだ。説明口調にもなっていないし、人物の感情が読み取りやすい。SSという創作のジャンルがあるが、あれをもっと高尚なものにしたらリア王になる。
何かを得た気になるな
そうはいっても固い。読んだ後、「だからどうしたの?」という気になる。仕方のないことだ。よく分からないのだから。きっと古典なんてそんなもので、一度読んだだけでなるほどと思えることは少ないはずだ。あと百回読んでも何も得られないかもしれない。それでいいと思う。
この作品の魅力とか何も紹介していないけど興味があったら読んでみるといい。
本日はここまで。