マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

走る東海道本線と川沿いリバーサイド鎌倉/純粋理性批判 (上) 解説4

 渋谷センター街のスタ丼で夕飯を食べた。店を出てから気づいたが、昼飯も豚肉を食べていた。それだけ肉を欲していたのだろう。駅前は人でごったがえしていた。ごったがえす、という表現はまさに的を射ていると感じた。彼らの名前は知らないし、これからも知ることはない。山手線の乗り方を教えてもらい、東京駅に向かった。鎌倉へ行く方法はたくさんあるはずで、渋谷からも安く早く行けるルートがあるのだろう。しかし、東京に行っておけば間違いはないし、それ以外の駅では不安があった。

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金曜のたい焼きに結合するあんこ/「純粋理性批判(上)」解説 その2

 木曜日はたい焼きの日と決めていて、おばちゃんが経営するその店でもちもちのたい焼きを買っている。しかし、今週は木曜は店の諸事情で休みになっており、僕はその恒例行事を一日延期した。つまり昨日のことだ。一日遅れで購入したそれは、ちゃんとおいしかった。金曜ロードショーもなかなか楽しかったし、これで一週間もハッピーエンドを迎えることが出来た。ロードショーはメンインブラック3だったが、作中にでてきた予言男はあらゆる可能性を見据えることができる宇宙人で、主人公が「また会うことはできるかな」と言ったら「全ては可能さ!」と笑っていた。

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あたりまえ体操の入り口 / 純粋理性批判(上)の解説

 ひとむかし前に、あたりまえ体操というのが流行った。2人組の男性があたりまえの動きについて論じている。「右足出して左足出すと、歩ける」「手首をまえに何回か曲げると、人来る」彼らはそうやって笑いをつくっていた。しかし、あたりまえとは何なのだろう。彼らのいうそれは経験上分かっていることで、生まれもって所持している観念ではないはずだ。本当のあたりまえはどうやって僕らの頭に入って来たのか。あたりまえの範囲はどこか、それらは確かにあたりまえなのか、あたりまえに価値はあるのか。カントの『純粋理性批判』はそんなあたりまえに関する本だ。

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