マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

バベッジノジャンキー

 どっかで聞いたフレーズばかりが耳にはりついていてとれない。という事象はままある。定刻通り走る列車にかかわらず明るさは増えていく。わたしは日差しのながさをかんがえた。日差しにながさはない。ながさ。

 

 18世紀にチャールズバベッジは階差エンジンをつくりあげ、計算の自動化に踏み出した。エンジンは階差をつかって、多項式を単純な加減演算に変換して処理をする。タッチパネルはなく、歯車に一面一面に数値が記載されている。回転によって数値は増減する。桁上がりもする。

 

経済や社会の仕組みが複雑になれば、計算の必要性もそれだけ増す。文明の進捗は計算回数に比例するというわけだが、これがすなわちシッカルト以来の計算機開発の背景である。

p83

 

 階差エンジンは完全となることなく、バベッジは死んだ。資金面の問題とかいろいろあったらしい。

 

 あれから結構な年月が経って、そのエンジンを復刻することになった。できたらしい。youtubeでみた。すごいうごく。

 

 計算機はバベッジ以降、ものすんごい発展を遂げている。電気のエネルギーで小型化とか、いろいろかのうになった。

 

 

 わたしたちはどこにいくのだろうね。

 

 

 フレデリックのジャンキーを聞いている。よい。

 

 

 

ひとさじに満たない文章

 どこかでなにかを書いておかないと、忘れてしまう。実際に私は日々を忘れている。「銃・病原菌・鉄(下)」を読んだが上巻とそれほど変わることはなかった。文明の差は環境によって生じたもので、それは地形と気候に準じている。インターネッツによりそれは平準化されつつあったが、それもコロナによって差が開いてしまった。

 次は何の本を読もうか考える。突如としてマンハッタン計画が浮かんできた。そのあたりの書籍を読んでみよう。

日々のやつ

macbook のバッテリーが故障したので修理に出した。本当はずっとまえからダメだったが使えていたので問題なかった。賞与ももらったのでやることにした。私は文章が打てなくなった。

 

文章を書くではなく、打つとしているあたり、すでに文字との隔絶が見受けられる。だとしたらこれはなんなのか。知らない。

 

今年はひどい一年だった。去年よりはマシか。特に新しいことをやっていない気がする。常に背骨あたりにひずみがある感じがしている。社内ではなんらかの調整をしていた。計画を立て、会議をして、なにかを進めた。増えていく仕事を後輩や先輩に任せながらやった。なくした端から仕事は増えていく。なんだこれは。

 

図面だけを書いていたあのころに戻りたい、と思った。でもまあそれは無理な話だった。

 

仕方がないのでやっていくことにした。社内メールとしてサイボウズOfficeを使っているが、その拡張機能でタスク管理アプリをつくった。同じ部署内の人間に仕事を追加させた。仕事が見えるようになった。

 

私が一番見えるようになった。仕事に優先度をつけてこなす。いらないやつは期限をのばすか、他人に任せる。あとは依頼した人と打ち合わせして消滅させる。なんとかなるものだ。

 

私と妻は老いていき、子供は大きくなるばかりだ。5合炊いた米が一日で消えていく。

 

長男は来年やっと小学生になる。でかい。虫だけでなく、生き物全般が好きらしい。ランドセルはしっくりきている。

 

次男は療育をやりながら楽しく生きている。よく目を合わせるようになった。言葉は出ないが、なにか言いたげである。施設に通うようになってからわりと変化が出てきている。

 

妻は頑張っている。家に帰るとご飯がある。洗濯がなされている。子供が生きている。ありがたい。来年から次男が本格的に施設に通うのでバイトを探したいらしい。協力する。

 

コードを書く日々が続いている。早朝に少しだけコードに爪痕を残しgithubの草をはやす。アプリはいつ完成するのか。8月にはじめて、100時間ほどかけている。バックエンドはもうすぐ。フロントエンドを頑張ろう。

 

通勤時間が暇なのでまた資格試験をやることにした。応用情報を受けよう。

 

コードを書く生活がしっくりきている。しっくりやりたい。

変わらないことはない文章は変わらない

 文章によって生かされている、ということをいつだったか書いた。それがそうだとしたら、近頃の私は死に絶えていた。日々の生活に押し流されて、息をするのも忘れていたのだ。息継ぎをするように水面にやってきて、一瞬書き留めて息をpush/pullしてまた潜っていくのか。

 いつか読んだ本の記憶はとうになくなった。「華氏451度」という本。本を燃やすことを職業にされたファイヤーマンが、いろいろ逃げていく。彼は自分が燃やす本に日々の救いがあるのではないか、とやっていたがそんなことはなかった。文章は文章でしかないのだ。

 最近6歳の長男が文字を書き出して、名前をひらがなで表現している。このあいだは数字を羅列してカレンダーをつくっていた。なんとも人間らしい遊びである。次男は知的障害を伴う自閉症のため、そこまでいけるかどうかわからない。次男は毎日を跳んで過ごしている。

 10年で変わらなかったことを考える方が難しい。修了して就職して結婚して子供ができた。家を買い、車を買い、昇進した。周りの人々は結婚したり疎遠になったり、どこかへ行った。私だけが残っている。工作をしたりプログラミングをした。そういう生き方になってきている。

 ただ、文章はずっとここにある。私が見放してもずっとそこにいる。紙が擦り切れたらとか、データが消滅したら、とかそんなことは関係ない。文字とは概念であって決まりであるので、有れと願う限りいつまでも有るのだ。

 過去のことは振り返らないことにした。私は過去に生きていない。面倒くさいのも有るし、へんに修飾したりしたくない。

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

Photo by Vincent Abric on Unsplash

プログラミングの副業をもらったので、詳しく書いた。

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はじめに

 サーバーサイドの副業をいただいた。所属してる「やんばるエキスパート」というオンラインプログラミングスクールで、募集があった。内容は教材サイトで埋め込まれているYoutube動画をモーダル化できるようにしてほしいというものだった。
 動画モーダル化とは、クリックすると動画がポップアップするような状態である。今回は「modal-video.js」というJSのプラグインを使用する。

modal-video.js - 動画をモーダルウィンドウで表示する jQueryプラグインをリリースしました | JavaScript | スタッフブログ | appleple

 報酬は10,000円だった。楽しそうだったので手をあげた。
教材サイトはこちら
やんばるエキスパート教材

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