マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

スーパー☆近況報告

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Photo by Alberto Restifo


 木魚叩きロボットは製作を停止することにした。3Dプリンターの稼働がネックになっていて、フィラメント代がバカにならないのと、深夜に動かすと稼働音で子供が起きるかもしれないためである。あと、機械の熱で部屋がくそ暑くなる。おかしいよね、外気の最高気温が37度くらいだけど、いま部屋の中で動かしたらサウナになりそう。私の書斎には冷房はありません。日中は使わないので問題ないけど、大変だー。

 いろいろあって、車で通勤することになった。出社時間も早くなって、退社時間も早くなった。早寝早起き。通勤次に車内でVoicyを聞いてるけど、ただ聞くだけだとなんか物足りなくなってきた。id:karaageさんのように音声配信でも始めようか。地声をオープンにするのはなんだか嫌なので、機械にしゃべらせよう。音声認識ソフトで声を文章化させて、そいつをゆっくりさんに変換させてみよう。

 先日の記事からAidemyでPythonの勉強を始めている。これすごいね。環境構築もくそもいらない。フリーメールでアカウント登録するだけでプログラミングができる。とりあえず無料でできるところまでは頑張ってやりたい。あとは今月中になんかつくって公開する必要があるのだけれど、なににしようか。トポロジー最適化をディープラーニングでやってみたいけど、ぜんぜん仕組みがわからない。文字列処理をつかって短歌でもつくろうか。

 いろいろやってみますー。
 

はじめてのトポロジー (PHPサイエンス・ワールド新書)

はじめてのトポロジー (PHPサイエンス・ワールド新書)

ディープラーニングの学習とAidemyコンテストへの応募/ゼロから作るDeep Learning

https://www.instagram.com/p/BlydPMRAUnI/

 息子に時間の概念を伝えようとしているが、今日と昨日と明日をなんと説明すればいいかわからない。それはつまり過去と未来を切り分けることであるが、なんとも言語化が難しい領域だ。ほんとうにウィトゲンシュタインの「意味とは使用」というのが実感できる。日常で使用しながら意味を理解していくしかないのだ。

 楽しそうだったのでディープラーニングの本を買った。「ゼロから作るDeep Learning」というやつで、魚が表紙になっている。読んでみたらやっぱり楽しかった。ディープラーニングのおおまかな理論と実装の例が書かれている。プログラムの作り方を一から丁寧に書いているわけではないので、これを読めばなんでも作れるようになるわけではない。まぁ、そのあたりは調べながらやっていこう。

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妻と記憶 / 妻が願った最期の七日間

https://www.instagram.com/p/Blle-azAr6D/

 久しぶりに本を読んだ。「妻が願った最期の『七日間』」というタイトルで、今年の三月に新聞に投書された記事がもとになっている。投稿者は宮本英司さん。一月に妻の容子さんをガンで亡くし、彼女が生前に残していた「七日間」という詩を元に投稿した。「神様お願い/この病室から抜け出して/七日間の元気な時間をください」から始まるその詩は掲載されると大きな反響を呼び、今回の書籍化につながったそうだ。本文は詩の全文と、容子さんの闘病中に夫妻がやりとりした「交換日記」の一部が掲載されている。日記はふたりの出会いからはじまっていて、長い人生の中で印象に残った箇所を時系列に書き合っている。

 ここからはだいたい私の思考の垂れ流しになるのだが、この本を読んで自分と妻のことをいろいろと思い出した。宮本夫妻と同様に、私たちも大学時代に知り合った。サークルが同じだったのがきっかけだが、入部した当初はそこまで話すこともなかった。練習は週に二回で時間も夕方の二時間程度で、週末に大きなイベントがあるわけでもなかった。(実際はあったが、当時はいくつかサークルをかけもちしていて、あまりそこへ労力をさくことができなかった。二年の春に、サークル団体の関係者と親しい部員が登場し、われわれのサークルも部室を持てるようになった。私も妻もそこへ入り浸った。

 部室が格納されているサークル棟は夏でもひんやりとしていて、すこしカビたような湿った匂いがした。いろいろなサークルの部室が入っていたので、あちらからは金管楽器の音が聞こえてきたし、こちらかはカードゲームに興じる学生らの声がしていた。私たちはいくつかの話をした。あまり内容は覚えていない。他愛のないものだった気がする。2年の前期はお互いに授業の空きコマが被っていて、よく部室で遭遇した。そうやって、一緒に話したりご飯を食べているうちにいろいろあって、先月二人目の子供が生まれてた。ぶつぎりの文章というのは恐ろしい。

 私は記憶についてあまり意識しない人間になってしまったので、妻とどこへいったかとか何をしたかとかはあまり覚えていない。そうして、そのとき自分が何を感じていたかも覚えていない。ただ、妙に記憶にあるのが、初めて妻をサークルの部室へと案内した一場面なのだ。その絵だけはなんかしっくりくる。こういうしっくりを積み重ねていけばよい人生を送れるのかもしれない。知らんけど。

 私が「できれば130歳くらいまで生きたい」と伝えると、妻が「私はさきにいくから」と言う。だからたぶん私のほうが長生きしそうな気がする。妻が死んだら私はなにか文章でもって伝えることをするだろうか。宮本さんのように素敵な言葉のやりとりを保管できるだろうか。自信がない。けれども結婚してよかったなとは胸を張って言える。言わないけど。

妻が願った最期の「七日間」

妻が願った最期の「七日間」

実存の叙述

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Photo by Jeff L on Unsplash

 単語に関税がかけられているような貿易摩擦が終了した。私はなににおいても自由だし、このスピードは誰にもおいつけないし、周回遅れのわらびもちは水色で涼しげだった。そういう日々だ。西日本豪雨からしばらく日数がたち、日常が少しずつ取り戻されつつある。コンビニの品揃えも充実してきたし、昨日通れなかった道が今日通れるようになっていた。思い出すこともたくさんあるだろうが、それと同様に忘れ去れたものも確かにあるのだ。知らんけど。

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昨日の雨のはなし

 私たちの目は多くても二つしかついていない。そのため、主観で語られる出来事というのはどうも散文的になりがちである。ニュースや新聞の記事の場合は、多数の人物や事象から情報を取得し、方向性の定まったレンズによってそれらを整理・編集する。非常にわかりやすい。何を書きたいかわからなくなってきた。

 昨日は雨の中、車に乗って会社を後にした。道路は平常よりもずっと混んでおり、私たちはありふれた会話をかわしながら時間を潰していた。途中で本線から脇道へそれたが、だいたい元のところへ戻った。あたりは暗くなった。時折、浸水している箇所を通行したが、なんとか通ることができた。スプラッシュマウンテンみたいだった。ふと、目線を横にずらすと、真っ黒な川が高い水位で流れているのが見て取れた。少しだけ心臓がはやく動いた。それからしばらく走ってやっと家の前に着いた。通常より二時間くらい長い道のりだった。お礼を言って車から降りた。

 今朝になっても、まだ出来事の全容が明らかになっていないようであった。とりあえず会社の人たちと連絡を取った。全員無事らしい。昨日私が車で通った道は、何箇所か川でえぐられて無くなったようだ。JRと国道、高速道路が軒並みやられており、復旧にはかなりの時間がかかりそうだ。私の家の近くは被害が少なく、電気ガス水道全部使える。ありがたい。

 どうなるのだろう。わからん。たぶん誰もわからないことなので、あまり気にかけるのはやめよう。なるようになるか。

【中国地方大雨 写真特集1】 | 中国新聞アルファ