きっとみんな読んだことがあるはず
円形劇場あとに住んでいるモモという少女が時間泥棒とたたかうお話。ずっと昔に一回読んだだけなのに内容を鮮明に覚えていて驚いた。こども向けの本ではあるが時折哲学的な表現がでてきて大人でも楽しめるものになっている。効率とかライフハックとかなんやらで僕らの行動は最適化されていくがこれはもしかして時間泥棒のわななのかもしれない。
人のはなしを聞くということ
モモはひとの話を聞くのが得意だ。しかし何か適切なアドバイスをしたりすごいことをやって勇気づけたり励ましたりすることはない。ただじっと聞くだけだ。彼女の目を見ながら話していると相談にくる人たちはひとりでに良い考えが浮かんだり悲しみや怒りが収まったりする。
対して僕はひとの話を聞くのが苦手だ。相談をもちかけられることもほとんどないし話を聞いたからといって彼らの問題が解決することはない。モモにあって僕にないのは相手を理解しようとする姿勢だと思う。「別にどうだっていいし」という態度で挑むのではなく「彼はなにを求めているか何を話したいのか」をじっと考えることが必要なのだ。
そうしてじっと聞いていると親友ができる。モモの場合はジジとベッポだ。ジジは夢想家のおしゃべり野郎でベッポは無口で思慮深い老人だ。この三人の友情は作中でも十二分に描写されておりそれゆえ三人の絆が引き裂かれていく後半の場面では思わず涙が出てきそうになる。
時間泥棒とは
この話はこども向けにもかかわらず時間という難しいものをテーマにしている。時間とはなにか時間はどう認識されているか。世の中には毎日せわしなく働き効率を求めているのに時間がない人が多くいる。作者のエンデはそれは時間泥棒の仕業としている。時間泥棒は町の人に時間の貯蓄を勧める。あれやこれやの無駄な時間をいっさい省いて節約すればその時間に利子をつけて引き出すことが出来ると。しかし実際のところは時間は引き出されず町の人は忙しくなるばかり。
これは笑い話ではなく実際に起こっていることなのだ。毎日時間を節約しようとライフハック記事を読んでアプリをダウンロードしてメモ帳を買って……いろんなことをするのに時間がない。あなたにあてはまらないだろうか。時間泥棒はフィクション上の存在ではなくなっているのだ。
忙しくてもいい
僕も最近時間がないなとよく感じる。登下校の自転車のスピードは増す一方だし研究室の人たちのゆったりとした時間感覚にイライラする。何をするにも時間が足りないのだ。しかし僕は忙しくてもいいと思っている。なぜなら節約した時間はブログに執筆にあてているからだ。好きなことをするために他のことをぱぱっと終わらせる。すてきなことだ。
ブログは毎日更新すること。書評は一週間に三つ書くこと。週末は定点観測をすること。こうやって自分で決めたのだからやらなくてはいけない。モモの感想で「人間らしいゆったりとした生き方をしようぜ」と結論づけることは簡単だがそれは何か違う。ゆったりとした生き方をしたいがために自分で決めたブログ毎日更新を止める?冗談ではない。それはただの言い訳だ。
好きなことのためなら忙しくなったっていい。
おわりに
ミヒャエル・エンデさんの有名な作品にはてしない物語というのがある。読者を巻き込むタイプの小説としては最大級の衝撃を受けた。モモを読んだことがあるならそちらもぜひ読んでみてほしい。
岩波書店
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さかさま小路やカシオペイアは未だに記憶に残っていてモモを再読する前にも時折思い出したりしていた。昔読んだ小説というのは頭に残りやすいのかな。
最後はカシオペイアの名言で締めよう。(彼は三十分後の未来が見えるカメである。)
「サキノコトハ ワカリマス」とカシオペイアの背中に文字が出ました。「アトノコトハ カンガエマセン!」