マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

光速のキャッチボールと相対性理論(4)

 新しい季節はなぜか切ない気がして、という歌いだしで始まる曲を聴いていた。私は大学時代によく空を飛んでいたことを思い出した。スピッツが好きな人がいて、その人のセレクションがしょっちゅう車内でかかっていたのだ。その車には他にもたくさんのCDが置かれていたが、スピッツがかかっていることが多かった。あの日々はたった一年で終わるのだが、自分の中で濃い成分として沈殿している。


 この書き出しを以前行った気がするがよく覚えていない。まあいいか。


 光速度一定の仮説を用いると、時間は一定ではないことがわかる。アインシュタインは同時の定義を光速を導入して説明していた。同時とはある複数の事象が起きたときに時計の針がおなじ位置を示していることである。だが、これでは事象が離れていて、複数を時計を用いなければならない場合は適用できない。そこで彼は複数の時計を同期させ、それぞれが同じ時刻を示していればそれを同時だとした。その同期に光を用いるのだ。

 わかりやすくするために、大谷と大瀬良がそれぞれ時計を身につけていて、光速でキャッチボールをしていることを想像しよう。彼らはキャッチしてから投げるまでも恐ろしく速い。大谷は大谷時計がAを指したときにボールを投げる。そのボールは大瀬良時間Bで大瀬良にキャッチされる。すぐさまそれは大谷へ返球され、大谷時間A'で大谷のもとへ到着する。このとき、それぞれの時間をtA,tB,tA'とすると、「同時」とは「tA'-tB=tB-tA」の式が成り立つときだと定義する。

 こんなかんじ。
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 このとき、近くからマエケンがそれを観測していたとしよう。三人が同じ座標系にいた場合、その同時という定義はマエケンからも認識できる。しかし、大谷と大瀬良が音速で走る軽トラックに乗ってキャッチボールをしていて、マエケンは相変わらずスタンドで応援していたらどうなるか。まず、大谷と大瀬良の視点で
見てみよう。彼らは音速の勢いを感じずに、以前と同様にキャッチボールをしている。だから時計も変わらず、同期してると認識できる。

 しかしながらマエケン視点では、ボールが軽トラの進行方向に飛ぶ時はなかなか補球されず、逆に進行方向と反対に飛ぶときは早く補球されてしまう。なんということか。時計は同期していないのだ。

 こんな感じで、時間というのは相対的なものであり、マエケンがいるときにカープが優勝してれば良かったなあと思った。


相対性理論 (岩波文庫)

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