マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【再読】ペナルティエリアでいかにうまく転ぶか/「土佐日記」

あのずり落ちは見事だ。

 今朝TVをつけたらW杯の開幕戦がやっていた。ブラジルの人がうまいこと転んでPKを勝ち取った。サッカーを観ているといつも感じるのは、彼らは非常に転ぶのがうまいということ。柔道選手よりも受け身がうまい気がする。また、アピールする力も高い。試合中に接触が起ると、「おれだぜえ!」「いや、おれだ!」と審判に投げかける。ほれぼれする。

披露困憊である。

 疲労困憊を分解してみると、疲労と困憊となる。困憊はきっとコンパイルの略であるので、この言葉の意味は「疲れを翻訳して他人に理解させること」なのだろう。自分はあなたではないので、あなたがいかように傷つき疲れ果てていても、なんら問題はない。折れた足をいじられると彼は痛いが、僕は痛まない。この一事、この一事だけが事実。そこでコンパイルという作業が必要なのだが、大体エラーが起る。デバックなんて明確な対処法があるわけではないので、トライアンドエラーを繰り返しやがて考えるのを止める。まったく、何が疲労困憊だ。カフェインでごまかそう。今日は早く寝よう。

 頭になにも入らない時は土佐日記を読むに限る。こいつはいい。こいつらは京都へ向っているんだ、と理解していればいいだけだからだ。あとは適当に歌を詠んで、酒を飲んで、くっちゃべってるだけだ。推理漫画の方がよほど疲れる。適当な話なのでそれはもうさらさらと読み飛ばせば良い。どうせ書いている本人も、まさか数百年経っても読み継がれているとは思うまい。

 あなたが古典を読むことで、あなた以外のだれかが得るものはなにもない。何一つない。だれも期待なんてしていないからちゃきちゃきページをめくってしまえー。そもそも読書は学を深めるとか教養を身につけるとかそんな高尚な行為ではない。単なる暇つぶしなのだ。古典を読むのもただの消費行動。

転ぶ先は芝生。

 これからさきの人生、何が起るか分からない。転ばぬ先の杖よりも、さっさと転んでしまった方が立ち上がるのが速いし、体力もつく。そう考えると、ペナルティエリアでうまいこと転ぶ方法を誰かから教えてもらいたくなる。審判は古典ね。
 

土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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