マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

一日30分、おっぱいについて考える小学四年生がペンギンを研究する話。

たいへん頭の良い小学四年生

 おっぱい饅頭 - 無料写真検索fotoq
photo by nortron

 ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
 だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

 
 ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)


 僕は小学生のころ、どんなことを考えていたか。おそらくアオヤマ君よりは低い次元で頭を動かしていただろう。彼は自分のノートを持ち、日々研究に追われている。地図に載っていない川の源流を探し、町に突如出現したペンギンの行方を調査したり、気になる歯科医のお姉さんとお話ししたり。

 驚いたのは五歳のときから怒らないように努めていることだ。これはだれでもできる芸当ではない。僕はもう二十歳をとおに過ぎているが、ささいなことでイライラして、相手に要らない言葉を放ってしまう。「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」と、アオヤマ君。参考にさせてもらう。

父の三原則

 

 父はぼくに問題の解き方を教えるときに、三つの役立つ考え方を教えてくれた。それらをぼくはノートの裏表紙に書いて、いつも見られるようにしていて、それは算数の問題などを考えるときに役に立つ。以下のリスト。
□問題を分けて小さくする。
□問題を見る角度を変える。
□似ている問題を探す。

 学生も研究をすすめる上で、上のような考え方をしていると思うが、明文化したことはないだろう。実にシンプルな三原則だ。例えば「今日は体調が悪い。原因は何か」と問題を提起すると、それを考える上では
□体で気になる箇所はどこか
□そもそも体調は本当に悪いのか
□○○さんも体調が悪いらしい
 とあてはまる。小学生のうちからこのような考え方をできれば将来はきっと明るい。いいなぁ。

世界の果ては遠くない

 

「でも世界の果てはそんなに近くにはないということも、ぼくはわかってるんだ。ぼくはもう小学四年生になるのだから、世界の果てはもっともっと遠くにあるんだろうね。宇宙の果てとか」
「そんなことはないだろう」
 父はまじめな顔で言った。「世界の果ては遠くない」

 物語のキーとなる世界の果て。曖昧な表現だが、言わんとしていることはわかる。物理的な壁ではなく、透明でしっかりと内部の情報を密閉しているような。情報の頭蓋骨。 
 人の数だけ、いやモノの数だけ世界の果ては存在し、それぞれが干渉しあいながらこの世界は動いている。アイデアが降ってくるときは干渉が活発に行われているとき。なのかも。


 よくわからない。

 森見さんの小説は他にも読んだことはあるが、このペンギンハイウェイは少年が主人公のためか、いくらかまっすぐで読みやすい。へんに表現をこねくりまわしていないし。