マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

2017年のウィズ

 いそがしさのなかにいる。いしのなかにいる、という文章に似ているので気に入った。終わりの見えない業務に身を置いていて、本当に年は明けるのか疑問に思ってきた。とはいうものの、やっていることは楽しいのでそれほど辛くはない。この楽しさの源はどこからくるのか。分からないし、それはいつかここに書いたはずなのでもう十分だ。この一年は本当にいろんなことがあった。わるいことではなかった。人生が良い方向に向かい始めていた。ただ、もう少しだけ空白を欲していた。自分の理念を固めたかったし、文章を書きたかったし、世界に散らばっている様々な領域の知識を結びつけたかった。私は勉強がしたいのか。それもある。自由な時間をもっととりたいのだ。スペシャルフリーになりたい。どういうことだ。

 この一年でやりたかったこと、たくさんあったがほとんどできていない。もっと創作活動に時間を割きたい人生だった。来年もまぁいろいろありそうだし、どうなるか分からないなぁ。

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 そしてようやく今年の仕事が終わった。どうしてこんなに忙しいのだろう。師走だからか。しかし、来年も大きなイベントがたくさんあるようで、また大変な日々が続きそうではある。

 アンナ・カレーニナの上巻を読んだ。ロシアのそれぞれの人間が、それぞれの生活を過ごしていた。人妻のアンナに恋をしたあの青年の名が思い出せない。まぁいい。割合楽しく読めている。この物語のテーマは何か。幸せってなんだっけ?みたいなものか。彼らなりにバックボーンを抱えていて、それらしい理念があった。彼らが幸福を感じるときはそれぞれ違うだろうが、それを目指して生きているのは共通だった。

 小説は良い。人生を遠ざけてくれる。こんな世界もあるんだなと知ることで、毎日のスタンスに距離感を与えてくれる。読みすぎはよくないが。

 来年はたくさん本を読もう。たくさんものを作ろう。ブログの更新頻度も増やします。

書くというありかた

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Moon, full moon, night and landscape HD photo by Anders Jildén (@andersjilden) on Unsplash

 ようやくネットの工事が終了した。八月にプロバイダの申し込みをしてから実に4ヶ月ほどが経過していた。その間はケータイのデータ量の契約を増やし、日々のゴタゴタを吸収したり発散したりしていた。あまり生産的なものではなかった。ネットがつながったからといって有意義な生活を送れるとは限らないが、それでもなにかしらプラスの変化はあるはずで、私もそれを信じている。

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楽しさの種まき

 たまには何も参照しない、自分の話をしようか。さいきんは仕事が忙しくてブログを書いたり、ものをつくったりする時間がなかなかとれないけど、種まきは時々している。楽しさの種まきである。いつか気づいたことだが、自分の行いと結果には相応の遅れ系があって、「レスポンスは遅れてやってくる」らしい。当たり前といえば当たり前なのだが、私は簡単には分からなかった。即時的な現代人に感化されたのかもしれない。だから、「こんなことがしたい」「あんなこと楽しそう」と思ったことがすぐには叶わなくても、100%諦めなくてもいいんじゃないかというスタンスになった。

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センサーの信念

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Vernazza sunset photo by Anders Jildén (@andersjilden) on Unsplash
 長い長い夜をかけて合わせていき自然とゼロになるような空気感であった。この不規則なシフトもあと1ヶ月で終了し、私は再びもとの生活に戻る。夜にしか書けない文章もあったのかもしれないが、多分すべてを捉えることはできない。嬉しさも寂しさもそこにはなかった。

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未だ展開しない思想

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Mountain, sky, alp and fog HD photo by asoggetti (@asoggetti) on Unsplash

 それぞれが文章を装備して生きている。そのようなことを考えた。いくらかの残業をしたあと電車に乗ると人々はまばらだった。じっと外を見つめたが何もなかった。そういう時間だった。結局のところ、私の人生はなにをもって正解となすのだろう。自身の充足感はどこで得られるのだろう。渇きとか飢えとかいう成分を利用して創作を行っている気がしてならない。もっとうまいやりかたがないかと探している。

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