マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

非物質的なアーク溶接棒


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 そして人がこのことから引き出す結論は、生きた命題にするために死んだ記号に加えねばならぬものは、単なる記号とは別の性質の何か非物質的なものである、ということになる。
 しかし、記号の生命であるものを名指せと言われれば、それは記号の使用(use)であると言うべきであろう。
ウィトゲンシュタイン 「青色本」 p016

 私をとりまく生活の中で様々な変化があったはずである。いくつかの手続きと諸々のやりとり、種々の長さの線の貼り付けや除去などがあった。どうしても抽象的になってしまい、なんとなしに他人事になる。以前の職場ではこのような癖が悪い方向へ出てしまい、身動きがとれなくなっていた。いまはどうか分からないが、涼しげな風が吹いている。

 ひたすら溶接をしていた。2.3mmの鋼板を折り曲げて箱をつくり、つなぎ目を溶接で止めた。溶接棒と対象物の距離を絶妙に保ちながら、火花の量を調節した。溶解した金属は隅でかたまって、その跡がミミズのようになった。これが正解なのか、不正解なのか。どちらでもないのだろう。

 意味とはなにか。意味とは使用である。はじめに意味ありきではなく、使用されるにつれてその本質が浮かび上がっていく、いやそんなものではない。本質などないのだ。使用。