マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

延長された感覚器官の果てに/星界の報告

f:id:kyokucho1989:20190927220447j:plain
Photo by The New York Public Library on Unsplash

 突然文章を書ける気配がした。たいがいはそのようなものだ。今朝は無理のない夢を見たが、どのようにしたものか思案を重ねてコーヒーを飲んだ。苦かった。

 ガリレオの「星界の報告」を読んだ。岩波文庫だった。今は亡きガリレオが、地動説を唱えた文章であり、それでも地球は回っているらしかった。彼は当時発明されためがねを自分でちょっと大型にしてやって、それを地上ではなく天へ向けた。月は真なる球体ではなく明確な凹凸があり、世界は不完全なものだった。我々の手の届かない遠くの固まりも、完全さは持ち合わせていないようであった。

 彼のすごいところはその発見をただ喜ぶのではなく、事象を分析し、計測し、自分なりの解ををもつところである。星たちの距離を計算し、理論を構築して、アリストテレスの世界観をぶちこわしたのだ。

 望遠鏡は人間の眼の機能を延長した器械である。(中略)

 望遠鏡はその限界を超えて、もっと大きなスケールの世界、巨大な宇宙にまで、「感覚的観測」の幅をひろげた。こうして開けた対象の新しい世界にたいする認識が、こんどは逆に、肉眼で知覚できる世界にたいする見かたをも変えていったのである。
p158

 ダーウィンの進化論があたまのどっかにあると、人間はいつかは進化するのかなと考えてしまう。じっさいはゆっくりとそれが進行いているのかもしれないが、私にはよくわからない。突然変異で翼がはえてきたら、それはそれでおもしろい。

 しかしながら、あと百年もしないうちに人間は劇的な進化をはじめるはずだ。感覚を延長させる器械によって。眼鏡が眼の機能の延長である。同様に義手や義足は手足の延長になり得るだろう。AIやセンサが搭載されたこまごまとした器械をわたしたちは身にまとう。エッジコンピューティングとよばれるなにかもでてきた。これは立派な進化である。

 器械によって認識をかえられた私たちはつぎに何をするのだろう。この間話題になった女の子は、CO2が見えるらしい。それは比喩だとあとで訂正がなされたけど、もう少し先の未来では比喩ではなくなるかもしれない。みんな超能力を持っていて、みんな超人。みんなすごいやつ。

 IoTの変革はすさまじく、なんかもうみんなの足下に及んできている。あらゆる物体が知能を持ち始め、わたしたちへ干渉する。うっかりシンギュラリティが起こりそうだ。そこできっと大事なのは意味をつけることだったり、価値を持たせることだったりするのだろう。よくわからないけど。

星界の報告 他一編 (岩波文庫)

星界の報告 他一編 (岩波文庫)