マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

カント「明日、見に来てくれるかな?」/純粋理性批判(中) 2

 そろそろ通勤野草学概論の講義に出ようと思い、路地の草花を眺めながら自転車をすすめた。団地から種子が飛んだと思われる朝顔の群生はしゅうしゅうとしおれた。昔から私が勝手に名前をつけていた草たちは、本当はなんというのだろう。わりとどうでもいい。ちなみに二羽のピーちゃんの違いが分かるようになった。ひとつは黄色く、もうひとつは青い。

 カントは言葉をつくりすぎた。新しい言葉をつくることでしか真理を説明できない、とでもいいたげだ。読む側としては申し訳ソーリーごめんこうむる。結局のところ彼が行いたいのは、経験を排除したまじりけのない当たり前を探求することである。それだから先験的とか超越的とか順位のつけづらい接頭語を冠するのはあまり意味がない。

 本の全体の構成がなんとなくつかめた。理性が用いるところの推理は三種類あるそうだ。ひとつめは主観に対する関係、ふたつめは現象における客観、さいごは物一般に対するそれ。それぞれは心理学、宇宙論(ニュートンさん)、神学におきかわる。純粋理性批判の中巻ではこの三つについていろいろ説明している。今日は心理学の内容を書いてみる。カントのいうところの心理学は、現代のそれとは少し異なるようだ。「私」が存在する上で理性が頑張れるかを考えたいというスタンス。この「私」という奴を突き詰めてしまうとどこまでも深くなるから、私(kyokucho1989)はなあなあに済ませる。ネットに繋がっていない、一台のロボットを考えるといいかもしれない。彼はセンサによって物を知覚し、CPUによって判断し、モーターを回転させて移動したり腕をうごかす。ロボットにおける私はおそらくCPUなのだろう。考える私。

それだからこの、「考える私」は、理性的心理学の唯一の主題である。従って理性心理学は、その全教説をすべてこの命題から開展させるわけである。

 カントは心を上巻で述べたカテゴリーに沿って説明することを試みた。心は実体であり、単純であり、単一であり、物体と相互に関連している。心は死なない! でも本当にそうなのか。彼は自問自答する。メンデルスゾーンは「心は不滅!」と言っているが、カントは「んなこたぁない」と反論した。なぜなら心は度をもっているからである。意識は常にクリアではない。それがあやふやになるとき、人は夢を見たり火星になかまを欲しがったりする。心拍数のように減少しうるから、心は無に帰することだってある。

 ロボットのたとえはよくなかったかもしれない。彼らは電気羊の夢を見ない。

 上述したところから明らかなように、理性的心理学はまったく誤解から生じたものである。

 そういうわけでカントは当たり前を考える上で、心理をつかった学を全否定した。なんということだ。

 学生の頃に新聞配達のバイトをしていた。朝は少し早かったが、基本的に一人作業で誰かと話す必要がなかったからとても楽だった。ある程度道順を覚えるとしだいに意識の度は落ちて、動作はオートマチックになる。その間は半分寝ぼけていて、昔のことを思い出したりする。バイトをしていたときには既に籍を入れていて、妻と二人で住んでいた。それだから「結婚を決めた」という感覚はあまりなく、時の流れに沿って生きていただけな気がする。このようなことを彼女に伝えたら、「んなこたぁない」と反論されそうだ。ごめんなさい。きっと私が覚えていないだけで、本当はいろいろとエピソードがあるのだろう。しかし、今はなんとか暮らせていけてるし、ごはんはおいしいし、少しずつ文章を書ける。それでいいや。

今週のお題「結婚を決めた理由」

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