可能性という言葉はみじんこ極まりない微生物である。誰なんだ、可能性は無限大だ、なんて発破をかけた野郎は。どこなんだよピリオドの向こう側っていう場所は。敷かれたレールにうんざりの働き女子は新しい可能性を求めて資格をとる。いつになるのかも知れぬ変化を待ち望んで。
所詮は一本道なのだ。パラレルにマルチに人生が進むことはなく、常に一方向、常に前進する。そこに停滞はない。あなたたちは速度の変わらない動く歩道に乗っているが、その事実に気づかないだけだ。「あのときああしていれば」とか、しょうもない妄想をするときもある。しかし、何一つ変化しない。僕らは歩いている。つねに動いている。分岐もせず。
しかしながら、小説では並行世界を当然のように扱っている作品もある。『ボトルネック』は、ある少年が自身が存在していないもうひとつの並行世界にワープする、というところから物語が始まる。そこでは、少年の替え玉となっているのは(死産したはずの)姉である。彼女は少年とは違い、ほがらかで明るく、さばさばとしたばさばさ人間だ。並行世界はだいたい作りが似通っているが、「少年が存在していない」というわずかな違いが、結構な変化をきたしている。両親は仲がいいし、好きだったノゾミは自殺していない。兄も死なずに普通の大学生になっている。
元の世界に戻るてがかりを探しながら、数々のプラスの違いを発見する少年は次第に心がくすんでいく。
兄は言った。他の誰にもない個性が、誰にだってある。お前はお前しかいない。
なるほど、そうだろう。否定しようもない、当たり前のお題目。
しかしそれは何も意味しない。違っていることはそれだけでは価値を生まない。
自分がボトルネックだという確信。これほど辛いものはない。現実では「もしも」は「もしも」でしかないので、自分がどのように世界と関わっているのかを知るすべはない。しかし、『ボトルネック』の世界ではそれが出来てしまうので、少年はひどく苦しむ。
彼は結局、「違っていることはそれだけでは価値を生まない」という結論に達する。しかし僕はそれにも何か違和感を覚えた。違うことなどなにもないのだ。そして価値なんてものは存在しない。違うというのはどこかが同じでないといけない。統一された規格や基準がないといけない。しかし、それは自然界には生息していない。あらゆることが不正確で不誠実で不整脈だ。それぞれの速さでビートを打っている。そう感じた。
みなバラバラで、まちまちで、変化に富んでいる。しかし、各々は各々のレールに載って歩みを止めようとしない。他の路線と交わることはない。
というわけで、僕は今日も可能性に石を投げつける。
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/09/29
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