最悪な一日だった。なにがどう最悪かと聞かれると詳しく答える事ができないが、とにかく最悪だった。私は何もできない。何もつくれない。何も持てない。自分にそうやって言い聞かせてきたはずなのに、知らないうちにネジは緩まっていた。惰性で毎日を過ごしていたのだ。やり直すことは不可能ではない。しかし、あれは唯一無二のあれであって、その事実は揺らぐことはない。外では、雨が降っては止みを繰り返している。
『異邦人』のムルソーも、最悪な一日を体験していた。母親を亡くした彼はアラビア人を撃ち殺し、死刑になった。話の中身を一文で表すとそのようになるが、前後関係はない。母親が亡くなってもムルソーは悲しまなかった。表に出さなかったというより、彼自身も悲しさがどう出力されているのか分かっていない、という表現が正しい。彼は決して冷酷な人間ではない。その証拠に、彼の周りには人が集まる。マリイやセレスト、レエモンやマソン。裁判の際にも多くの友人が彼に味方をしてくれた。
しかし、最悪はいやおうなく最悪である。つま先の方向がほんのわずかにずれていただけで、日常の交差からはずれていく。それを引き起こすのはだいたいが不運だ。
「思うに、あれは不運というものだ。不運というものが何かは、誰でも知っています。それは防ぎようのないものだ。ああ、確かに、私の考えるに、それは不運というものです」
セレストはムルソーを弁護する際にこう述べている。私の最悪な一日も不運から始まったのかもしれない。しかし、はじめの段階なら軌道修正する事はできた。ムルソーも私も道をただす事をしなかった。ムルソーは惰性に回る出来事にそのままのりこみ、もみくちゃにされた。私はスクリーンアウトを怠った。
こんなとき、悔しいときっぱり言えたらどんなに心地がいいだろう。自分のよごれつちまつたプライドがそうさせてくれない。ワンモアチャンス、やり直したいです、と。しかし、それはいやだ。出来なかった自分を上書き保存してしまう気がするから。
私は何もできない。ボーダーの半分も満たさない。マイナスの向きに引っ張ればハングリー精神が増すだろう。そいつを成果物に昇華させよう。
そうやって生きてきた。
- 作者: カミュ,窪田啓作
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