マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

記録? -20140311

東京に行ってきた。

 先週末は東京の実家へ行ってきた。実家といっても昔から住んでいた場所ではなく、俺が大学へ入学してから親が引っ越した所なので縁もゆかりもない土地だ。さらに実際に実家へ行った訳ではなく、親と昼食をとっただけだ。「たまの休みには帰ってこい」と親は言うが大学生は年中休みのようなものでたまのだとか一時的なとかつかの間のとかそんな言葉は似合わないなと思った。


 土曜の未明に家を出て、昼過ぎに到着した。東京駅はいつ来ても多くの人でごったがえしている。しかし都会のよそよそしさは感じない。大きな荷物を背負ったおばちゃんや、受験生とおぼしき高校生、また陽気な外国人観光客らにどこか近しいものを感じるからだ。案内図もそこらじゅうに存在し、各路線はテーマカラーによって属性が分けられているのでそこまで迷うことはない。大きな鈴がある待ち合わせ場所で親と無事に会うことが出来た。父は用事がある来れないので母だけがそこにいた。以前より白髪が増えた気がする。それは母が白髪染めを止めたからかもしれないが。

 東京駅付近の洋食屋でめしを食べる。「どれでも好きなもの選んで良いよ」と言われ、メニューの中で一番安いものを選んだ。本格的なビーフシチュー。一人なら絶対注文しないような値段がした。料理が出てくるまでいくつかの質問をされた。大学のこと、バイトのこと、内定先の企業のこと、引っ越した家について。俺も母にいくつかをたずねた。家族のこと、姪の育ち具合、父の仕事、母の仕事、今住んでいる家のこと、祖父母のこと。在学中にめったに親に連絡をしなかったから、様々なことを均等に話した。ビーフシチューがやってきてからも話すネタにはことかかなかった。

 父さんに言われたから、帰り際に母はそう言うと機種変更したばかりのiphoneで俺の写真をとった。操作に苦労しながらも液晶パネル越しに見えるその顔はとても幸せそうだった。心の中でそっと泣いた。

 なぜ会うのが昼食の場だけなのかというと、込み入った事情があるので全てを説明するのは難しいが、簡単に書くと夜は予定があったからだ。高校の部活の友達ら三人と飲む。本来はそのうちの一人と俺だけの会合のはずだったが、友人が連絡をつけあって皆で騒ごうということになった。彼らと会うのは一年半ぶりになるだろうか。一人は大卒の社会人で、あとの二人はそれぞれ別の大学の修士だ。今年の四月には俺を含めた四人ともが社会人になっているため、これからは会うのは難しいかもしれない。夕方頃彼らに連絡すると、秋葉原で待ってるとメールが届いた。

 秋葉原につき周りを見渡すと遠くに見覚えのある三人組の姿が見えた。右からハチベエ、ハカセ、モーちゃんである。うそである。石崎、次藤、高杉としよう。俺が近づくとむこうも気づいたようで、こちらにやってきた。久しぶりに会ったはずなのにみんなで集まると高校の頃の雰囲気がそのまま戻ってきた。不思議なものだな。夕飯時までまだ時間があるのでしばらくその辺をぶらぶらすることにした。後から思ったことだが、このとき秋月電子へ行って部品を買えばよかった。送料五百円は痛い。次藤は生粋のオタクキャラ(オタクではないが)として高杉にいじられていた。石崎と俺が悪のりをする。楽しいな。

 それから有楽町駅ヘ向かった。場所は友人たちが調べてくれたため、なぜ有楽町になったのかは分からないままだ。呼び込みに捕まりながらもあらかじめ高杉がチェックしていた安い居酒屋へ向かった。そこはドリンクがセルフサービスという店で、俺も久しぶりによく飲んだ。二時間の飲み放題も大学のサークルで行った送別会よりずっと短く感じた。そんなものなのだろう。高杉は恋人とうまくいっているらしい。石崎は仕事が忙しいという話をしていた。次藤は自分のことをさげすんでいた。俺は高校時代に振り返って、部活の話やあのとき誰が好きだったかとかそんな話をしたかったが時間が足りなかった。残念でならない。

 結局答え合わせは出来ずに終わってしまった。しかしみな変わらないなという印象は持てた。いや、実際には変わっていたのだろうけどあの短い時間では全てを感じ取ることは不可能だったのだ。これから社会人になり、結婚し、子を持つようになると自由な時間はどんどん少なくなっていく。こうしてみなで飲める時間はなくなっていくはずだ。だから今日のような集まりはとても貴重でありがたいものだった。

 まとまりがない文章になってしまった。こちらからは以上です。



















 こうやって終わりにしてもいいが、以上で述べたことがらは全て嘘である。実際は親にも会ってないし、友人たちとも飲んでない。一人称は俺ではなく僕だ。そもそも東京にも行ってない。なぜこうも嘘ばかりを書いたかというと個人ブログでつく嘘ついてはてなブログ内で議論になっているからだ。

 id:dobonkaiさんはid:juverkさんの記事(痴漢冤罪で社会から抹殺されかけた。 - 自省log)に対して「創作なのでは?」というブコメがあることを紹介している。

身バレを防ぐために混ぜる嘘と自省logさんの今回の記事とは多少ベクトルは違うけれど、ブログに書いても読者に許される虚構の割合ってのは一体どれくらいなのかなってのはとても興味がある。

できれば他のブロガーさんや読者の皆さんの意見を聞きたい。
個人ブログの嘘はどこまで許されるのかなって話 - ネットの海の渚にて

全部嘘でもいいっすよ。

 id:dobonkaiさんの先ほどの記事に対して、僕はブコメで「全部嘘でもいいっすよ」とコメントしている。所詮個人ブログなのだ。新聞やNHKニュースおはよう日本とかではない。ただのチラ裏の書き込みに対して嘘かほんとかを問うのはばかげているように思えてしまうのだ。また、仮に書かれていることが嘘だとしてもそれを僕は確かめることは出来ない。過去記事をあさって「あのときはこう書いてたけどいまは違う、本当はどうなのか」などと書き込むのはなんというか趣がないというか味気ない気分になる。

 そう考えると僕がよく見に行くブログも全部嘘で出来ているのかもしれない。就活を頑張る有袋類と草食動物、毒を吐く菌類、占いを始めた実名ブロガー、長文を書き連ねる犬、犬、犬、そして犬。5%を生き続ける異邦人、学校に行かない野菜、書評を書くアイアンマン、超能力少年、ブログマッチョな太巻き、ピカチュウ、見つかると怖い姑、追従するコウモリ、増田とブログを行き交う菩薩、実験を重ねる半裸男、ウェブサービスを作る大学生、アート好き社会人、派遣社員、営業マン、普通の大学生……。

 良い。それでも良い。嘘であっても僕の中には存在しているから。例えPCを閉じたら終わってしまう世界だとしても。

参考

作り話をさも体験談のように語る弊害について - ←ズイショ→
ブログに嘘を書き続ける嘘吐きの戯言。 - 隠れ家日記

全部嘘でも良いっすよ。

Steins;Gate(通常版)

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