マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

フィボナッチに潜む神、そして「聖なる侵入」

 小学生の頃、算数がぞっとするほど苦手だった。三桁同士の足し算や引き算は苦労した。筆算をプリントのあちこちに書き込んで解いていくのだが、毎回違った答えになってしまい焦る。特に繰り下がりの引き算は時間がかかった。「十の位から借りてくる」とかそういう方便は分かっていたが、数字を分解して両方の形を海馬に維持させたまま鉛筆を走らせることができなかった。
 

 算数は苦手だったが数学は好きだった。単なる計算問題が少なくなり、幾何や代数問題が増えたため、あまり頭を使わなくてもよくなったからだと思う。あれは僕が中学一年の冬か二年の夏か秋か冬か。よく覚えていないが、図書館で数学の絵本を見つけた。『数の悪魔』という本だ。数学が嫌いな少年が数の悪魔と出会って毎日夢の中で数学談義を繰り広げる、という筋だった。そこで悪魔が語っていたのがフィボナッチ数列だった。

 『聖なる侵入』でも『ヴァリス』でもフィボナッチ数列が登場する。これは「0,1,1,2,3,5,8...」という風に、前の二つの数字を足し合わせたものが続く数列である。そして、それは黄金比を形成する。

「フィボナッチ定数に基づいている」。そしてハーブ・アッシャーに説明した。「比率なんだ。一対〇・六一八〇三四。古代ギリシャ人たちはそれを黄金分割とか黄金長方形と呼んでいた。
(略)
「それは宇宙に遍在しているんだ。ミクロ宇宙からマクロ宇宙まで。それは神様の名前のひとつと呼ばれている。」

 絵を描いてみた。エマニュエルくんが述べている〇・六一八〇三四は図の青色の部分にあたる。

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フィボナッチ数列のアルゴリズムは自然界にも広く適用されているようで、僕らは巻貝の伸び方とか松ぼっくりの松かさの並びにそれを見ることが出来る。人間が黄金比を美しいと感じるのは、DNAがその植物に人間の生を結びつけているためだろう。きれいだと思ったならそれに注意を向けて、大切にしようかなと考えるようになるから。

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 黄金比の仲間として白銀比というのがある。この比は1:1.41..で表される。黄金比がパルテノン神殿やモナリザに用いられているのに対して、白銀比は法隆寺や五重塔に用いられている。なんだか和風だ。西洋と日本の美意識の差がどこで生まれたのかを考えるにあたり、白銀比と黄金比、それに対応する植物などを追求していくと楽しいかもしれない。
 
 さて、フィリップ・K・Dickが何を思いながらこの作品を綴ったのか。テーマは何なのか。僕の現時点での解答は「神の存在とその役割」とする。数年後また読み返すときにそれはひっくり返るかもしれないが、今はそういうことにしよう。

あなたには想像もつかないことだ。どんな生物も非在は想像できない。特に自分自身の非在はね。ぼくは想像を保証しなければならない。あらゆる存在を。あなたの存在を含めて。

 次回は存在について書く。


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聖なる侵入〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

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