英訳しきれない「いき」
粋を英語で言う場合、何と訳せば良いのだろう。coolあるいはsmartか、はたまたstylish? 調べてみるとchicという表現もある。しかし九鬼周造の考えだと、いきは日本特有の表現であり訳しきるのは難しいようだ。「「いき」の構造」は哲学者である九鬼周造が日本語の「いき」を分解し、構造を示している本である。何十年も前に書かれたもので、言葉も古くお堅いものが使われているがあまり読むのは苦にならない。論理の展開や言葉の対応が明確であることもそうだが、なにより読んでいて楽しいからだ。普段何気なく使っている言葉がこれほど細かい構造をしているのか、と深く感心した。
「いき」=色恋+(ストイック+さとり)
著者はいきの構造を述べていく際に客観的表現ではなく、まずは意識現象から見ていくのが肝要としている。客観的表現とはいきを発しているのがどのような状態なのか、どんな人間なのか、どんな性格なのかを表すことだ。いきという属性を持っているものを調べることは、いきそのものを知るよりも簡単であるが、それでは根本のいきを理解することは出来ない。
意識現象は内包的構造と外延的構造に分けられる。いき本来の構造を知ること、いきの類語から構造を埋めていくことにそれぞれ対応する。内包的構造は「媚態」「意気地」「諦め」の要素で構成される。僕なりに換言すると「色恋」「ストイック」「さとり」となるだろうか。
「媚態」は、武士道の理想主義に基づく「意気地」と、仏教の非現実性を背景とする「諦め」とによって、存在完成にまで限定されるのである。それ故に、「いき」は媚態の「粋(すい)」である。
媚態は自分と相手(異性)との距離をぎりぎりまで詰めようときに生じるなにかである。片思いから結婚直前までの間はそれは生じる。しかし結婚し距離がゼロになると立ち消えてしまう。究極を目指す武士道は白馬の王子様を探すことに似ており、非現実性から来る諦めは二次元の世界に逃げることと同義だ。色恋にストイックとさとりが加わり絶妙なバランスを保っているのが「いき」である。
積み上げられるロジックを眺める快感
外延的構造の章ではいきを表現するパラメータを八つ紹介し、いきとその類語がパラメータによってどう表現されるかを書いている。表紙の四角柱がそれである。著者はパラメータは存在する公共圏によって大きく二つに分けられるとしている。一つは人性的一般存在であり、もう一方は異性的特殊存在である。普通の世界と恋愛の世界の二つだ。例えば野暮と意気は対立的な表現で異性的特殊存在に分類される。またこの二つはその公共圏において強弱を判別する指標として利用できる。ダサいかカッコいいかというルックスの違いは恋愛の世界で非常に重要なものだ。
著者はこういうロジックを淡々と積み上げていく。僕は遠くの方で眺めることしか出来ないが、それでも寸分の狂いもなく論理が構成されていくのは気持ちがいい。
「いき」をだしにしてフェチを語る
全編とても面白く読めたが、とくに良かったのが粋を表すのはどのような身体的表現なのかと論じている箇所だ。いきは姿勢をやや崩すこと、つまり直立不動な一元的表現にわずかにずらしを加えたものであるとしている。全部見えるのはだめ、風呂上がりの姿は良いよね、うすい着物はいきだねぇ、丸顔より細い顔、緊張と弛緩を併せ持った表情、略式の髪型、素足……。「語り過ぎだろ、こいつ」と思わず噴き出してしまった。きっとこの人は「いき」をだしにして自分のフェチを語りたいだけだったのかもしれない。
おわりに
哲学書や文学は言葉ばかりがただつらつら書かれており、僕はあまり読むのが得意ではない。しかしこの本は読みながら論理の流れをはっきりと脳内でイメージすることが出来て読みやすかった。文章量も多くないので気が向いたときに読んでほしい。
こちらからは以上です。