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マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

人間はワクワクし、ときどき火星に仲間を欲しがる/「インターネット的」

読書

 糸井重里は『インターネット的』において、インターネットがもたらす変化について説明している。十年も前の話だ。人や物は有機的につながり、共有され、対等な匿名性のある立場に置かれる。インターネットは情報を手早く均質にやりとりする環境そのものであるが、それに「的」がつくとそれが変えたライフスタイル全般のことを指す。

 インターネットが登場した当時、それを万能な装置と考えずに「やっぱり人間が大事なんだよ」と言った人は、彼しかいなかったのかもしれない。

インターネットは、「伝える仕組み」です。いわば、人間の生み出す情報という「料理」をすばやくどこでも届ける「お皿」です。ほんとうは、一番面白いのは、お皿に何をのせるかということのはずです。お皿自体には、ぼくはあまり興味がないのです。

 ここからコンテンツ至上主義の考えが展開されるのか、と思ったがそんなわけではなかった。糸井さんが重要視しているのはつくる側ではなく、つかう側だった。彼はそれを「消費のクリエイティブ」という言葉で説明している。インターネット的世界によって、これからは作るコストがどんどん低くなり、逆に市場を持っている人の優位性が増す。そして、「あなたが何をしたいのか」「何を考えているのか」が求められる。そんな世の中では生産よりも消費に工夫や独創性が必要だ、という言うのだ。確かに、「私は皿回しが好きで年中回しやすい皿を探しています!」という人にはきっと良いかんじのお皿が自分からやってくるだろう。

「消費のクリエイティブ」「使うことの豊かさ」についての想像力がすっかり衰退してしまっているから、お金だけが無理やりに流通させられているけれど、誰もわくわくしないし、楽しそうに見えないのですね。

 消費のクリエイティブを求める時は、意識した消費活動が必要だ。僕は毎朝NHKの「0655」を観てから出勤するが、その中で「今日の選択」という曲が出てくる。ピース又吉さんが「どっちにしよう」と迷いながら朝食や服、本と分かれ道を選択していく。曲には十六通りのオチが用意されていて、おみくじで大吉を引いたり、チャーハン大盛りを食べたり、打ち水をかけられたりする。僕はその曲がわりと好きだ。結果として何が起きるかよりも、自分で選択するという意志が大切だと感じるからだ。

 意識して選択するということは、消費のクリエイティブに他ならない。ただ漫然と生活を過ごすだけではなく、より楽しいことや面白いことを追求すれ。そうすれば、今までのライフスタイルが、なんとなくちょっとハッピーステップになるかもしれない。

 僕はさいきん、意識することを覚えた。情報をただ受け取る海藻わかめになるんじゃなくて、自分から情報を選択して受け入れることにした。五感をよく使い、温度や湿度またはお腹のすきぐあいに敏感に感じ取るようにした。そうして、「今日は喫茶店でモーニングを食べよう」とか「ゆっくり休もう」とか「朝食にナポリタンを作ろう」と行動に移した。そうすると、生活の中でいかに多くの選択肢が提示されているかが分かった。

 僕らはこんなにも自由だったのか。あっちにもこっちにもわくわくの芽が生えている。それらに象さんのじょうろで水やりをする。楽しいなあ。
 

インターネット的 (PHP文庫)

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