「砂場の下に宝が埋まっている」
五歳のころ、そんな風説を耳にした。プラスチック製のスコップを振り上げて、みんなで公園の砂という砂をかき出したが、ブリキのおもちゃしか出てこなかったのを良く覚えている。しかし、友人Aが「これは金でできているんだ」とさも当然のように語り出すのだから僕はひょっこり信じてしまい、四五年はそのことを希望として毎日を生きていたような気がする。希望セール期間が終了しても、ロボットと会話が出来る友人Bの言葉に振り回されたり、未来が見えるとのたまうネット友人Cを崇めたりとまったく進歩がみられなかった。そんな事をしているうちに輝かしい十代は過ぎ去って、無限の可能性と有限の必然性とありあわせの金と出会わせた交友関係を所有していた大学時代も無と帰した。あとに残るは定職だけだ。
僕が宝を望んだのは、それがレバレッジのかかった代物だからだ。「最小限の努力で、最大限のパフォーマンスを」これは誰もが一度は思うはずだ。どうせこの世に生きるのだから、なるべく楽して全うしたい。ついでに諸々の欲求を満たしたい。都合のいいような頭を持っているのは恐らく人間だけだ。
亡者の箱まで、這いのぼったる十五人
一杯飲もうぞ、ヨー・ホー・ホー!
あとのやつらは、酒と悪魔にやられたぞ
一杯飲もうぞ、ヨー・ホー・ホー!
『宝島』にはこんな歌が挿入されている。宝箱を目前にした海賊たちは喜びに満ちあふれてこんな歌をつくったのだろう。しかし、二行目の「酒と悪魔にやられたぞ」に彼らの緊張感が残されている。酒と悪魔。悪魔と並列されるほど、酒は恐ろしいものなのか。思うに、酒はただのドリンクではなくて、自堕落な生活の全般を指しているのではないか。規則正しい生活を行わなければ「酒」にやられてしまい、宝にはありつけない。もしかしたら、宝とは健康なのかもしれない。
みな、歩みをとめるな。宝は逃げないがこちらへやってくることもない。一歩一歩、ingress。
十年前に読みたかった。もっとピュアな気持ちで読めたはずだ。
- 作者: スティーヴンスン,Robert Louis Stevenson,阿部知二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1963/06
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