マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

世の中にはいろんな人がいるが、誰とも分かり合う必要はない。

大学で気付いたこと

http://instagram.com/p/d2gkAmBBAp/


 大学でたくさんのことを学んだが、その中で感覚的につかんだことにタイトルの内容がある。誰とも分かりあう必要はない。これはよく言われる群れるなとか、一匹狼になれという類いの考え方ではない。自分と他人はまったく違う存在なのだから、必ずしも相手と分かり合おう協力し合おうと努力する必要はないということだ。「あぁ、こんな人もいるんだな」と思う程度で良い。


 例えば、あなたの知り合いに定期テストでカンニングを行い、単位をとった人がいるとしよう。「カンニングはよくない」「なぜそんなことをするのか」「悪いことをしてはだめだ」こんなことを思うかもしれない。しかし、その悪はあなたが設定した悪であり、その人にとってはなんともない普通の行為かもしれない。

 また、サークル活動の会議の際、A案でいくかB案でいくか揉めたとしよう。どちらもメリットデメリットを持ち、甲乙つけがたい案である。しかし話の流れからA案に傾きそうだ。「よかった、なんとかまとまりそうだ」と安心していたところに「それならF案のほうがいいんじゃないの?」と、今更言ってくる人がいる。その人の考えは僕の理解の範疇を超えているが、そんなときは真正面から取り合わずなだめていくのが正解だと思う。

 分かり合うという行為は一見すると素晴らしいことのように思える。相手を理解し、自分もまた理解してもらう。しかし互いに100%理解し合えるというのは無理な話だ。僕はあなたが何を考えているか分からないし、あなたも僕が何を意識しているのか分からない。自分の考えや思想が100%相手に伝わっていると勘違いしたとき、ケンカや争いやハプニングが起こる。よくないね。

 だからもう受け止めるだけでいいのだ。理解なんてしなくていい。存在を認める。思想を知る。

朝倉啓太の考え

 木村拓哉が日本の首相を演じたCHANGEというドラマでこんなシーンがある。たしかアメリカから強面の通商代表が首相の家に上がり込み、貿易に対する協定をとりつけるよう説得しにくる。彼は経験の浅い首相相手に協定の条件等を知っているかどうか質問するが、木村拓哉演じる朝倉啓太はさらりとそれに答える。なんとか話し合いも落ち着き、朝倉ととなりの世話役の会話にうつる。

「自分の言いたいことはちゃんと相手に言って、相手の言うことはちゃんと聞いて、それでお互いにとことん考えようって。そうすれば・・・」
「わかりあえる」
「いえ・・・相手と自分は違うんだということに気づくんです」

 教師から議員になったキムタクは、価値観の違う人同士で、必ずしも分かり合う必要はないと感じていたのだろう。

おわりに

 
 土曜なので、最近考えたことをつらつらと書いてみた。CHANGEは割と好きなドラマだったなぁ。官房長官をやった阿部寛の演技が面白かったイメージ。