マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

内的直観に左右される業務/不完全性定理

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Let there be light., by Anders Jildén | Unsplash

 書くことしかできない。この作業は自身に内包している思いの丈をぶつけるとか、主張するとか、そんな話ではない。日々どこかに蓄えられていくひずみを少しでも軽減するための行為である。私はひとつの文章を書ききると少しだけ落ち着くことができる。自分の存在を外部に落とすことができたのだから。ただ、その安心感は長くは続かず、また何かを書くことになる。その繰り返しである。

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間違えているかもしれないものの正しさは、そのもの自身によっては保証できない

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Lake Bled, by Ales Krivec | Unsplash

 考えを書き留める必要がある。それらを私のなかにとどめておくと、消化不良を起こしてしまいあまり体によろしくない。ちぐはぐな悩みや意味のない妄想などを現実世界に天日干ししておかなければならない。このごろは仕事のことで割と悩んでいるが、結局は選択するのは自分であった。考えるのも自分であった。それだけわかれば十分だ。これは私の人生なのだから、すべてが自分の意思でどうとでもなる。

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あるなし二語文の可解性/「不完全性定理」

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Photo by Stacy Wyss | Unsplash

 息子が二語文を話すようになった。「〜ない!」とか「〜あった!」とずっと喋っている。ずっと喋っている。いったい誰に似たのかしらんと思ったが、そういえば私も幼い頃はお喋りやさんだったらしい。自分でも少しだけ覚えている。それがどういうわけで現在に落ち着いているのか、よくわからない。もし、あのままお喋り野郎で生き続けていたら、もう少し人間とうまくやっていけたのかもしれない。コミュニケーションは難しい。

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残された有限な心拍数と超無限のパラドックス/不完全性定理

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https://unsplash.com/?photo=RmZIUIF2S2Q

 抗うとか、耐え忍ぶとか、仕事をそういう風にしか表現できないことが悲しい。数年前の私は仕事をどういう風に捉えていたのだろう。機械と戯れる楽しい時間としか考えていなかったのだろうか。たぶん当時は、それほど人と関わり合って仕事をすることがなかったのだろう。今は何をするにも人が関わってきて、自分の考えを伝達してから作業をしなければならない。それが少ししんどいのか。そうか、しんどいのか。

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短い文章のやりとりは不完全性定理。

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How many Layers?, by reelika raspel | Unsplash

 どこかで文章の区切りをつけなければならない。それは明日かもしれないし、昨日だったかもしれない。しかし、わたしは今日書いた。この事実だけは受け止められた。このごろは日々の出来事に追われるばかりで、自分の本当の物語からずれているような感覚を抱いた。いま抱いた。私は文字を書きながら嘘をついている。自分自身につく嘘がいちばん厄介だ。そうして嘘をついたことさえ忘れてしまう。なんということだ。

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