マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

2016年のマトリョーシカ的な総括。

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 今日の昼にはこのmacbookを修理に出すので、さっさと今年のまとめの記事を書いてしまいたい。(記事公開は30日にセットしておこうかな。)今年もいろいろあった気がするが、あまり覚えていない。去年も同じことを言った。総じて私は忘れたがりな生き物らしい。実際は海馬に記憶のこまぎれが残っていて、それらしくつなげればそれらしい思い出になるのだろうが、そんなことをして何になるのだろう。

 一月にゲーム理論の本を読んだ。人間の損得勘定を数値化させるという試みは面白く、今のAIたちにも似た様なものが含まれているのかもしれない。出張中の記録も読書記事には書かれていて、あれはあれでけっこう楽しい思い出だ。そのあとは暗号について学んだ。「アラン・チューリングはすんごく難しい暗号機エニグマと戦って勝った。すごい」これだけ覚えている。鍵を持っている人だけが閲覧できる文章というのは、昔から需要があり、これからもあるだろう。けれでも計算機の進化で、未来は暗号が暗号でなくなってしまうこともありうる。そうなったときはきっと偉い人がやってきて、暗号に代わるなにかができるはずだ。私は人任せだなあ。

 三月頃にフェルマーの最終定理を読んだ。代数の問題に幾何学的にアプローチした志村さんと谷山さんは面白かった。ワイルズさんは「どれだけ考え抜けるかが重要」と言っていた。私はきっと考え抜ける人間ではない。だいたい適当なところで考えをやめて、楽なほうへと流れていくのだ。残念。結局モジュラーとはどんなものかはわからなくて、ウルトラマンに出てくる怪人の一種ということにしている。

 四月に中古車を買った。週末にみんなで車に乗って、ショッピングモールとか水族館とかに行くようになった。運転はわりとできるようになった。今年の我が家のトップニュースである。そこから純粋理性批判の下巻をさっさと読んで、ポアンカレの科学と仮説を読み進めた。「仮説は便利さによって生まれちゃう」というのがわかった。みんなコンビニエンスを求めていたのだ。

 七月末に電子書籍を出版した。20冊ほど売れた。来年は10万部ほど売りたい。そのあとは3Dプリンターで遊んだ後、ひたすら存在と時間を読んでいた。だらだらと読んでいた。そうしたら年末になってしまった。いくら仕事のことで悩まされていたとしても、もうちょっと頑張ればよかったなと思う。

子供

  • でかくなりすぎ。1歳4ヶ月で15キログラムもある。
  • うるさすぎ。一分に一回は「アンパンマン!」と言う。「元気ハツラツ?」と問うと「アンパンマン!」と返ってくる。惜しい。
  • なめすぎ。家中のあらゆるものを舐め回す妖怪になった。危ないものや大事なものはすべて棚の上に置かれ、棚の上が物で溢れかえっている。
  • 動きすぎ。どこまでも歩いて行く。全身を使ってなにかを表現している。どうやら体力を限界まで使い果たさないと眠れない仕様らしい。なんだそれは。
  • かわいすぎ。はい。

仕事

 自分が今の仕事にあっているのかわからなくなった。まぁほどほどに頑張ろう。資格を夏頃にひとつとった。来年ももうひとつとりたい。

ブログ

 三月ごろにコーヒーの記事を書かせてもらった。楽しかった。
日曜の夜、静かなキッチンで生豆を炒る ―― コーヒーと私 - それどこ

 今年は全然記事を書かなかったけど、ブログの購読者数はちまちまと増えている。現在820人。わお、ありがとうございます。来年は10000人くらいにしたいなあ。


 それではみなさん、よいお年を。

増大する分からなさへの対処はない/存在と時間 (終)

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 神は言われた、「年の瀬に年末あれ。そこそこ忙しくなれ」。そのようになった。息子にはサンタからクリスマスプレゼントが届いていた。プラレールのベーシックセットとアンパンマンの人形だった。割と嬉しそうだった。私がプラレールのレールを丸くつなげてくるくる回すと、彼も同様にして遊んだ。正しさを教えなくてはならない。本当にそうか? 正しさとは何か。私はそれを知っているのか。わからない。

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風邪による有給消化と簡単な書評/「小商いのはじめかた」

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 世界が狭まったり、奥深くなっている十二月である。気づかないうちに風邪をひき、体の調子はおもわしくない。ちかごろ文章を書いていないのもその風邪のせいにできれば良いなと思う。本当のところはどうなのかわからない。いつだったか、自分の過去の選択について理由を聞かれ、「〜だったからだと思います」と答えたら、思いますは余計だと言われた。会話のニュアンスとかその人が何を言いたかったのかはなんとなく理解できる。もっと自信を持てとか人ごとにしないようにとかそのあたりだろう。けれども、私は思いますとしか答えられないのだ。皆はそんなに昔のことを覚えているのだろうか。過去のああいう感情があって、こういう行動をしたと整然と述べることができるのだろうか。できるのか。そうか。

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業務時間はおのれの開示態を存在する/「存在と時間」

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人間は内に「照明」を含んでいるというのも、おのずからに世界=内=存在として明けられている——すなわち、なにかの存在者によってではなく、みずからその明るみ(Lichtung)を存在するというありさまで——ということなのである。
ちくま学芸文庫「存在と時間(上)」p289

 存在と時間は五章で内=存在の話をしはじめるが、今の私にはそんなことどうだっていい。現存在がおのずから発光しようが発熱しようが発電しようが、それによって何億人ものひとびとが息を吹き返したとしても、わたしの中の一段の靄が飲み込んでしまうよ。

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共同存在とコーヒー豆増量セール/存在と時間

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Photo by Thomas Griesbeck | Unsplash


 新聞を日経から地方紙に切り替えた。本来の目的は固定支出を削減することであったが、どうやら地方紙の方がチラシがたくさん入るらしい。近くのスーパーの特売情報がわかるようになった。妻も少し嬉しそうだ。新聞屋も地方紙に切り替えてくれることを好意的に受け取っているらしく、今月と来月の料金は無料となった。よかった。次は余分に入っている保険を解約しようと思う。

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