マトリョーシカ的日常

ワクワクばらまく明日のブログ。

【書評】現代には戦いはあるが、希望は必要ない/『老人と海』

 人生は戦いである。いったいだれがどう定義したのか分からないが、そう決まっている。戦いをテーマにした小説も数多く存在する。えいやほいや皆で争い、読者である僕らは血が沸き立つ興奮に襲われる。何を言ってるんだ。

 『老人と海』を読んだ。ようするに老人と海の戦いの話だ。おじいさんは、昔はすごい人だったけど、今ははもうだめな人だ。一緒に漁に出掛けていた孫は独り立ちし、おじいさんはまた独りになった。孤独な彼は海へ漁に出て、とても大きい魚に出会った。

 いつになく語彙が不足しているが、勘弁してほしい。いま、僕はきっと魂のやりとりをしているんだ。極限状態の頭脳はショート寸前で、だから単純な言葉しか出てこないのだ。

 生死の狭間で、おじいさんはなにを思うか。それは魚のことであり、命のことであり、孫のことだ。彼なりの希望。

 希望をすてるなんて、馬鹿な話だ、そうかれは考える。それどころか、罪というものだ。いや、罪なんてことを考えちゃいけない。ほかに問題が山ほどある。それに、罪なんてことは、おれにはなんにもわかっちゃいないんだ。
 おれにはよくわからない、罪を信じているかどうかもはっきりしないんだ。

 しっちゃかめっちゃか。彼にはそんな単語が似合う。いや、似合わないかもしれない。質実剛健とかがいいのかな。怪しい。

 怪しいのは僕の思考回路だ。おやすみ。


 いまの時代に希望が存在しているかは定かではない。そもそも、僕らが命のやり取りなんてする機会はそうそうない。ストレスフルの社会に生きているが、別に死ぬ訳ではない。そのような時代に必要なのは希望ではなく、一種の暇つぶしであり紛らわせであり慰みだ。一生懸命稼いだ金は、ストレスをなくすために使われていく。虚無だ。圧倒的な虚無だ。やり場のない想いがきりきりと体をしめつけてくる。

 おじいさんが取り戻したのは過去の栄光か、身の安全か、正しい記憶か。ライオンの夢を見る。


老人と海 (新潮文庫)

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