マトリョーシカ的日常

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【書評/感想】おっさん向け「ちかごろの若者」取扱説明書/「さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち」

ぼくらはゆとりではなくさとりです

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さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち (角川oneテーマ21)

 「ゆとり」って呼ぶな!僕たちは「さとってる」だけ。帯に書かれている若者たちの叫びと書名、また以前ネットでも話題になっていたので今日はこの本を紹介しよう。これは博報堂で若者向けのマーケティングを行っている著者が、研究員と呼ばれる大学生たちに彼らの考え方を聞き出しそれを書き起こしたものである。研究員というのはマーケティングを行っている研究室の一員という意味でただこの本を出版するためだけに彼らを呼び出したわけではないようだ。

 世代に関する議論というのは非常にやりやすい。○○世代という名前を勝手に付けてステレオタイプを植え付けていく。「ゆとり世代は〜だ」「団塊世代は」「バブル世代は」「就職氷河期世代は」どの世代にも良い面悪い面があるのだが、人は自分の所属する世代の尊厳を守りながら他世代を攻撃していく。

 しかしこの本はどれかを非難するという内容ではなくバブルジュニア世代である著者が数値やデータを挙げながら若者たちの発言をフォローしたり軌道修正している。「おっさん」が若者を理解する上では大変良い本だ。

前提条件

 ここからすぐに書き出しても必ずサンプル数だの視野が狭いだのという批判が来る。当たり前だ書いているのは僕ひとりなのだから。付け加えるなら、本書に登場してくる大学生は博報堂という有名な広告会社の活動に能動的に参加しており友人も多く話もうまい、関東圏のある程度ランクの高い大学生だ。つまり都会のリア充である。このことを加味した上でさとり世代の生態を理解していただきたい。

LINEしすぎ、村社会化

 彼らは大変息苦しい生活をしているなと感じた。ソーシャルメディアの普及によって常にだれかと連絡を取り合わなくてはいけなくなったのだ。僕は使っていないがいまや大学生のほとんどがLINEを利用しているらしい。これがメールと最も異なる点は既読機能だ。返信の有無にかかわらず内容を見たら既読マークが付き差出人は受取人が文章を読んだかすぐに知ることが出来る。既読スルー(KidokuSuruu=KS)なんて用語も生まれたが、LINE疲れは本当に存在しているのだ。常に誰かに監視されているような生活はまるで全体主義社会、イングソック、「ビックブラザーがあなたを見ている」、一九八四年の世界のようだ。恐ろしい。

 またLINEにはグループ機能があり友人をコミュニティごとにグループ分けすることができる。しかしこれはサークルや研究室といった単位だけではなく単発のイベントのために作成されたグループもあるのだ。四十、五十もグループをもつ人もいる。そして彼らはグループごとにキャラを切り替えゆるいコミュニケーションを行う。全然ゆるくないぞ。

 ツイッターで呟くまでもないことをLINEで呟くようにしたという学生の発言が面白かった。LINEはツイッターとは違い完全に内輪で世界が完結する。村社会化が進んでいるのだ。はてな村なんて目じゃない。

さとり世代はちょこちょこ消費型

 若者の車離れ、新聞離れ、読書離れ、昨今若者の消費の落ち込みが問題になっている。なぜ若者はものを買わなくなったのかと疑問に思う大人も多いに違いない。しかし彼らは消費活動をしなくなったわけではない。ちょこちょこ消費型なのだ。高級なブランドものや車など高いものは買わずにコスパの高い服やカフェにお金を使う。またサービスの増加やネットの普及によって彼らの消費の選択肢は大人たちより広がった。誰もが同じものを求めるのではなく、自分が気に入っているものにお金を使う。身の丈に合った生活ではないか。

 僕も年齢を考えるとさとり世代だ。余りお金を使わないが、よさそうな文庫や新書を見つけると昼食代をケチってまでつい買ってしまう。いや、これはさとり世代の考えではなくただの「本が好きな人」か。

おわりに

 読んで一番感じたことは彼らの言語化能力が非常に高いこと。自分やさとり世代全体の考えをわかりやすい言葉にして発言しているのだ。これはリア充特有のスキルなのか。発言を読んでなるほどなと腑に落ちることも多かった。

 あと巻末のバブル世代vsさとり世代はお互いの価値観が全く異なっていて宇宙人同士で会話しているようで面白かった。

 なんでもかんでも名前をつけるのはよくないけど、これによっておっさんたちが若者の考えを理解するまではいかなくても許容してくれればいいなあ。