一つの文字を打たねばならない。こうして、文字を「打つ」と表記すると後から修正することができないような印象を持ってしまう。そんなことは全くない。けれども、修正できないのだから、と自身の書き出しの不出来さを弁護することは可能である。良い時にだけ文章をつづろうと考えると、絶対に良い時は訪れないことがわかった。それならば書く頻度を増やし、観測地点を多く設置して、良い時に備えていよう。私はそう考えた。
続きを読む存在の意味へ向けられる問いは、もっとも普遍的でもっとも空虚な問いである。しかしその問いのなかには同時に、それ自身が各自の現存在へもっとも痛烈に個別化されてゆくという可能性がひそんでいる。
存在と時間(上) ちくま学芸文庫 p101