計算されない書き出し
書き出しに慎重になりすぎるのは、そこへ期待をかけすぎているからかもしれない。はじめの一文で全てが言い切れるような、そんなものを目指していたのか。それは私には荷が重すぎたため、こうして緩みきった文章を打ち続けているのだが。
書き出しに慎重になりすぎるのは、そこへ期待をかけすぎているからかもしれない。はじめの一文で全てが言い切れるような、そんなものを目指していたのか。それは私には荷が重すぎたため、こうして緩みきった文章を打ち続けているのだが。
前から記事しようと考えていたネタに、「意識の遅れ系」というものがある。なんのことはない。「自分の思考や思想は遅れて具現化する」ということだ。私はポケットサイズの野帳に日々思ったことを書き散らかす癖があって、へんてこなアイデアや願望を記録している。「3Dプリンターでなにか作りたい!」とか「こんな本を読みたい!」など。そうして年月がたち、ふと過去のノートを見直すとその時の書いた内容がすでに実現されたことに気づくのだ。「ああ、そうかこんなことを考えていたのか。これは叶ったなぁ」と。意識って楽しい。
続きを読む果たして私はみなさんに役に立つ情報を与えているだろうか。独りよがりの文章になっていないだろうか。そもそも、私は何を伝えたいのだ。このようなしがらみのないエディタ空間にただ文字を並べていって、そこに目的はあるのか。もっと明確な意思を持って何かを発信する必要があるのか。わくわくを展開し、世界を震わせていけば良いのかもしれない。しかし、内に沸き起こる衝動を待っていては一生文章なんて書けない気がする。
続きを読む文章が書けない時はどうするか。文章を書くしかない。学生の頃に、よくジャグリングをしていて、ひたすらボールを投げていた。何も考えなかった。ただ投げた。難しい技を練習する時も「どうすればできるようになるのか」とかそんなことは考えなかった。成功するコツは成功するまで投げることである。きっと文章もそういうものだ。書かなければそれは書かれない。
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