マトリョーシカ的日常

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【書評/感想】ガッチャンレールを変えよう週間/「GOTH 夜の章」

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GOTH 夜の章 (角川文庫)

 食品に賞味期限があるように、割引券にも有効期限があるように、小説にもそれを読むのに適切な時期というのはある。「GOTH」を読んだ僕が今ひとつ衝撃を受けなかったのはこの時期がもう過ぎていたからだと思われる。ページをめくるたびに興奮できる共感できる感動できる、そんな感覚を味わうことはもうできない。非常に残念だ。

 作中には主人公の心理描写があまりない。そのため彼が知的でクールでスマートな存在にできあがってしまっているが現実にはこんな人間はいるわけがなく悩むし恋するし勉強もする。僕が高校生のころ思い描いた理想の自分に割と似ていて恥ずかしくなってくる。そう、これは理想と現実の線引きがあいまいな中高生の頃に読んでおけばよかった小説だったのだ。くやしい。

 ストーリーは高校生の"僕"と森野夜が身の回りで起こる事件に首をやたらめったら突っ込んでいくというのが大まかな筋書き。事件といっても証拠を列挙して誰がどうやったのかを推理していくたぐいではなく、そこに犯人の心理描写やバックグラウンドはない。あとがきで作者が言っているがこの作品では人間ではなく怪物を書きたかったらしい。

 さてこの記事をどういった方向へもっていけばいいのか。


高校時代の僕

 結論としては、どうでもいい話でお茶を濁すということになった。高校時代の僕は今と対して変わっていなかった。友達も少ないほうだしだいだい日陰で過ごしていた。教室後ろの黒板の隅にちょろちょろと毎日何かを書き込むのが趣味であってアイデンティティだった。ほんとにくだらないことを書いてた。色恋沙汰は全くない学生生活だったが部活は楽しかったし勉強も面白かった。思い返すと芯の部分は何一つ変わってないのだと気づいた。

 しかしそのときになくて今持っているものがある。現実感だ。以前は自分という関数は何が入っているか自分でもよく分からないブラックボックスのようなものだった。そのため自分の可能性に過度な期待をかけたりポテンシャルに依存して無理な夢を描いたりした。しかし大学に入り世間には優れている人がわんさかいることを知り、自分のできなさ加減を理解すると自分の関数の中身が分かってきた。これだけの量をインプットすればこのくらい吐き出すだろうな、成果はこれだけだろうな。そうやって自分をコントロールするすべを身につけてきたのだ。自己管理とも言う。

 この自己管理感は素晴らしい。地に足を付けて生きていますと僕は世間様に宣言しているのだ。無理は無理でできないはできない。できるかもはできるかもなのだ。

 もし僕が高校生のころに「GOTH」を読んでいたらこの無機質な世界観に惚れ込んだんだろう。なんて"僕"はスマートなんだ、"森野夜"のような人と付き合ってみたい。残虐な事件に巻き込まれながらもなんとかあの子を守ってみせて「かっこいい!大好き!」って言われてみたい。部活で全国大会に行ってクラスの人気者になってついでに学年模試で一位とって志望校合格だ! 妄想はつきないだろう。わたしはこの一冊で人生が変わりましたという人はよくいるが高校生は一冊どころかネット上のワンセンテンスで人生のレールがガッチャンガッチャン路線変更する。いやぁ可能性って恐ろしい。

おわりに

 しかし今の僕にもガッチャン路線変更は大いにありうる。可能性の幅は狭くなったがそれでもじぶんで選べるものは選べるのだ。この小説がバタフライエフェクトよろしく僕の将来の位置変化にいくばくかは寄与するかもしれない。