『海辺のカフカ』を読んだ。十五歳の少年が家出をしてやがて帰る話だ。それ以上でも以下でもない。彼は典型的な思春期の少年であり、自分の中にカラスという別の人格を見いだしている。その悪魔がヒップホップで食っていけとささやく、と似たようなニュアンスで「強くなりなさい」と少年に語りかける。少年は今の生活に漠然とした不安を感じている。本当の自分を見つけることが出来ず、このまま消耗していくのではないかと。そうして、彼は東京から四国を目指した。
自分とは何なのか。分からないまま終えることもできる。けれど、そんなのは嫌だ。少年は現実世界から三次元的に逃げ出して、素敵なサムシングを探そうとした。ここじゃないどこかや、これじゃないなにかを求める気持ちはとても理解できた。僕もそうだから。最近は仕事が日常の一部になってしまい、「これがあと何十年も続くのかもしれないな」と考えると背筋がぞっとする。とらえようのない怖さがそこにある。自分はもっと何かできるだろう、より幸せな生活があるだろう、優れた才能があるだろう。あやふやなブロックをつなげては、四つ合わせて消している。
僕はそのとき空白と空白とのあいだにはさみこまれている。なにが正しくなにが正しくないのか見きわめることができない。自分がなにを求めているのかさえわからない。僕は激しい砂嵐の中にひとりで立っている。自分がのばした手の先だって見えない。どちらに行くこともできない。骨を砕いたような白い砂が僕をすっぽりと包んでいる。
結局のところ、少年は帰ってくる。明日がどのような顔をしているか予想は出来ないが、それでも帰ってくる。描写に希望の色は薄く、均質で淡々としている。
ホシノくんがいい動きをしていた。彼は入り口の石を使って入り口を開き、そして閉じた。物語が進むに連れてトラックの運ちゃんからインテリくんに変わっていくのが面白い。話の中枢に関わっているのに本人はそんな自覚はなく、ただちゃらちゃらと動いている。そしてときどき悩む。僕は彼に憧れている。日常生活を終わりにして、リセットしたい気分があるからだ。彼はナカタさんと出会い、仕事そっちのけで旅をともにする。貯金を使ってそこらへんの喫茶店や映画館へ行き一日を過ごす。いいなあ。
リセットしたい欲求があるのかもしれない。しかしそれは無理なことだ。今は手持ちのカードだけで勝負しないといけない。次カードを交換するのはいつになるのだろうか。
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